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HCFMの歴史
北海道家庭医療学センターの歴史を考える上で、日本における家庭医療の歴史を簡単に理解することが助けになります。
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本輪西ファミリークリニック 草場鉄周 |
日本での家庭医療黎明期
日本では明治時代にドイツ医学を採用し、東大を頂点とする帝国大学医学部に医局講座制度が少しずつ整備されていきました。西洋の最新医学の吸収と医学研究はそうした講座で精力的に行われ、科学の進歩に伴って、欧米と同様の専門分化が進んでいきました。その一方で、町のお医者さん、すなわち開業医は地元住民に密着した存在として定着し、子供からお年寄りまで幅広く診察する医療がどこででも当たり前のように続いていました。
しかし、欧米と同じく、戦後の高度成長期には病院が急増し、そこに配属される専門医の数もうなぎ上りに増えていきました。国民も高度な医療機器が整備された大病院を志向する傾向が強まり、「3分診療」にも関わらず患者が殺到するのが当たり前になっていきました。
しかし、日本の場合は、1960年代の欧米のようにGP(総合的な医療を行う医師)、すなわち一般的な開業医の提供する医療を「家庭医療」という専門的な医療分野と位置づけて医療システム全体を再構築することはありませんでした。そして、フリーアクセスが患者の権利として殊更強調される中で診療所と病院の機能分化も明確にならないまま、現在に至っています。一度、1985年に「家庭医に関する懇談会」という組織が厚生省(当時)主導で作られ、こうした問題を検討したようですが、残念ながら議論は進まなかったようです。その後、1986年に家庭医療学研究会が発足しますが、なかなか大きな発展は見られず時が過ぎていきました。
北海道家庭医療学センターの歩み
北海道家庭医療学センターはこうした日本の医療情勢の中で、カナダで家庭医療専門研修を受けた初代所長の葛西龍樹と医療法人社団日鋼記念病院理事長(当時)の西村昭男の手で1996年4月に北海道室蘭に開設されました。ミッションは家庭医療がなかなか発展しない日本で本格的に家庭医療学の診療・教育・研究を推進することであり、早速、翌年1997年5月からは4年間の臨床研修プログラムを開始しました。
卒後初期研修が必修化されていない中、厳しい認定基準をクリアして臨床研修病院の指定を受けた日鋼記念病院での2年間の病棟研修、そして、室蘭市内のクリニックや岐阜、沖縄の診療所を舞台にした2年間の診療所研修。家庭医療という分野がまだ理解されにくい医療現場で、初期の研修医は多くの困難にぶつかり、およそ半数程度しか研修を修了できない厳しい状況が続きました。
しかし、そうした中でも、北海道の地域医療の一翼を担う使命を抱き、2001年には北海道十勝の更別村にある更別村国保診療所に研修医を派遣。2004年には滋賀県竜王町の弓削メディカルクリニックと研修協力体制を築き、2005年からは北海道後志・寿都町の寿都町立診療所、2006年からは北海道礼文町の国保船泊診療所に研修医を派遣するなど、少しずつ研修のネットワークを広げていき、各地の地域医療に貢献する実績を積み上げていきました。
それと同時に、2002年には研修修了者がスタッフとして初めて赴任し、指導体制も年々少しずつ整備され、研修環境も整えられていきました。当センターの研修体制に対する評価も高まり、全国の研修施設から見学者が来訪し、北海道や厚労省からも視察を受けるまでになりました。2007年度厚生労働白書にも「総合的な診療に対応できる医師の養成」というテーマで掲載され、日本家庭医療学会の学会認定家庭医療研修プログラムのひな形にもなりました。
更なる発展を目指して
2006年、センター設立10年の節目となる年、初代所長の葛西龍樹が福島県立医大地域・家庭医療部の教授としてセンターを去るにあたり、修了生でもある草場鉄周が第2代所長に赴任しました。新体制を迎えて、メンターシップ制度の導入などのきめ細かい研修体制の構築、都市部・地方での家庭医療モデルの確立に力を注ぎ、日本家庭医療学会や北海道医療対策協議会などで日本、そして北海道の家庭医療・地域医療の推進に向けて活動してきました。
そして、2008年4月、12年間に渡ってセンターを暖かく見守ってくれた医療法人母恋の傘下から離れて独立し、「医療法人 北海道家庭医療学センター」として新たな一歩を踏み出すこととなりました。
これを契機に、より一層、北海道の地域医療への貢献や家庭医の養成に力を注ぐと同時に、現場の実践に基づく臨床研究の推進などへ活動の幅を広げ、北海道家庭医療学センターは更なる発展を目指していきたいと考えています。21世紀が家庭医療の世紀だったと後世の人々から評価される日を夢見て。
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