ピーナッツアレルギーのリスクのある乳児へのピーナッツ負荷試験

―文献名―

George Du Toit M.B, et.aRandomized Trial of Peanut Consumption in Infants at Risk for Peanut Allergyl. N Engl J Med 2015; 372:803-813February 26

―要約―
背景:
 西欧では小児のピーナッツアレルギーの有病率がここ10年で倍増している。また、ピーナッツアレルギーはアフリカやアジアでもみられるようになってきた。そこで筆者らは、ピーナッツアレルギーのリスクが高い乳児におけるアレルギー発症の予防に対して、ピーナッツを摂取する方法と摂取を回避する方法のどちらが有効かを調べた。

方法:
重度の湿疹、卵アレルギー、またはその両方を有する乳児640人を、生後60ヶ月までの間、ピーナッツを摂取する群(ピーナッツ群)と、摂取を回避する群(回避群)にランダムに割り付けた。対象となった小児は、生後4ヶ月以上11ヶ月未満だった。プリックテストによるピーナッツ抽出物への反応の有無によって、測定可能な膨疹が観察されなかった群と、直径1~4mm膨疹が観察された群に層別化し、ランダム化した。プライマリアウトカムは、生後60ヶ月時点でピーナッツアレルギーを有する参加者の割合とし、群ごとに独立に評価した。

結果:
プリックテストがベースラインで陰性だった530人では、生後60ヶ月時のピーナッツアレルギー有病率は、回避群13.7%、ピーナッツ群1.9% であった(P<0.001)。プリックテスト陽性であった98人では、同様に回避群35.3%、ピーナッツ群10.6%であった (P=0.004)。重篤な有害事象には群間差はなかった。
ピーナッツ特異的IgG4抗体の上昇はピーナッツ群でみられ、回避群では同IgE 抗体価の上昇がみられた。プリックテストでの膨疹がより大きいこと、ピーナッツ特異的IgG4/IgE比がより小さいことは、ピーナッツアレルギーの発症と関連していた。

結論:
ピーナッツに対するアレルギーのリスクが高い小児において、ピーナッツの摂取を早期に開始することで、アレルギーの発症頻度が有意に低下する。

【開催日】
2015年4月15日(水)

“研究をやる前の自分とやり終えた自分が変わる”ということ

―文献名―
質的研究の方法 いのちの<現場>を読み解く 語り手:波平恵美子 聞き手:小田博志 春秋社 2010年

―要約―
以下、印象に残った文章の抽出
第一部 質的研究のコツを聴く
第一章:質的研究とは何よりも「問題を発見する」ことに強みがある。たてた問題の答えを見出すだけではなく、それまで気づきもしなかった問題の存在に気付き「問題を発見」することによって、研究全体の発展に貢献することができる。
・問題意識と研究課題は分けておく

日常生活の中にある問題意識を「研究課題」にするためには、自分の抱き続けている問題意識を自分のなかで整理しておく(自分の動機付けがどこにあるかを明確にしておく)ことが必要です。
・質的研究は手仕事、まずは素材に向き合う
 データを繰り返し、繰り返し見て、そのなかで研究計画書を作りながら考える。
・問題意識を持ち続けること。それは優れた発想を生む。
 「なぜ、あのように男泣きに泣いていた父が、弟の骨を見て笑ったのか(4歳6ヶ月の時)」 
 質的研究の上で優れた、意義のあるRQを立てるためには、自分の興味関心のある問題あるいは、
 時には幼い時から抱いている疑問や体験の中から生じた問題を簡単に捨てないことである。
第二章:質的研究の強みは、問題を発見することである。そのためには「相対化」する視点を獲得することが必要になってくる。相対化の視点とは、対象を、対象をみる自分自身とは全くことなる存在として扱う「客観化」とは違い、対象をみている自分、対象について語る自分自身も暗黙に含んだものの見方のことである。それは、地図を描いたり地図をみる行為に似ている。
・「距離をおく」ということ

 自らを「よそ者」の視点で見てみる。Making the familiar strange 自分にとっては当たり前の  
 ことを奇妙と捉える。これは相対化ということでもあります。自分が生きている状況を相対化することが問題、そして研究課題の発見にもつながる。
・質的研究では多様なものをデータとする
あるテーマについて書かれたものだけを集めて、それをよんで自分が納得したかどうかを書いてもらう。同時に、自分の考えがいかに人の受け売りなのかということに気付き始める。一般言説の霧が晴れれば研究課題は見えてくる。それはデータ分析であると同時に、自分自身の思考の相対化にもつながる。
・データの持ち味を活かす
 質的研究によって得られた結論とは、もとにある生データを推測させるようなものでなくてはならない、という考えが常に私にはある。
 いい研究というのは、対象についての本質が言い当てられる、読んでいて「よくわかった」という「眼」をあたえてくれる研究なんだと思います。そのためにも、データ自身が「語り始める」ように繰り返し読むことが大事。
・「語ってもらえる私」になる
 インタビューのとき「いかに聞きすぎないか」にも気を配る必要がある。

Intermezzo 子どもの時の体験と「プロの『よそ者』」への道
 その研究テーマに取り組まざるを得ない、抜き差しならない状況で始めている印象があります。
 人類学者とは「プロのよそ者」だという表現があるが、子供って「世界のよそ者」なんですね。
–色々なことを感じているけれど、まだ人に伝える言葉にできない。しかしそれを既存の言葉にあてはめて終えてしまうのではなく言葉にならない自分のひっかかりを大切にして、保ち続ける−それは自分にとって意味があるだけではなく他の人たちの言葉にならない思いをひらくことにもなる・・・

第二部 経験を聴く
第5章 当事者の切実さを忘れない。なおかつ当事者と異なる視点を忘れない。
質的研究の場合、問題発見は大胆に行い、一方、データ収集、整理、分析には細心を心がける。一部の文化論のように、飛躍だけでは次が続かない。
質的研究は社会に概念的資源を提供する役割がある、と表現したい。すなわち現場で生きている人たちがうすうす気づいているのだけど、言語化していない点を「言い当てる」という役割ですね。
・ひらめきの知、アブダクション

どうしてリンゴが木から落ちるのかを説明する理論枠組みを生み出す思考の展開のこと。そこには現象レベルからの飛躍、ひらめきがある。量的研究は演繹的であるのに対して、質的研究は帰納的だと言われます。しかしアブダクションはそのどちらでもない第三の推論様式なのです。
・手間暇をかけること
書いていることにきづくのは100あるうちの3読めばわかる。書いていないことに気づくには、やはり30とか40とか読まないと気がつかない。

【開催日】
4月16日(水)