どんなきっかけで家庭医を目指しましたか?
中学2年生の時に、大好きだった祖母がくも膜下出血を発症しました。その頃から、人間の脳みそに興味を覚え、茂木健一郎さんのような脳科学者を目指して医学部に入学しました。
しかし、基礎研究が自分には向いてないと感じ、進路に迷い始めました。そして、大学4年生の秋に、当時、日鋼記念病院の1年目初期研修医であった草場鉄周理事長に出会い、家庭医という専門医の存在を知り、その役割が、後遺症で困っていた祖母に役立てると感じ、家庭医を目指すようになりました。
HCFMに応募したのはなぜですか?
もちろん、家庭医を目指すきっかけになったロールモデルである草場鉄周理事長が研修していたからです。また、私が卒業した当時は、家庭医療を謳った後期研修プログラムが少なかったため、将来的には、自分と同じように家庭医を目指す医師が育つ環境を作りたいと思っていましたので、日本に先駆けて研修プログラムを作っていたHCFMで、家庭医を育てる仕事がしたいと思ったからです。
「家庭医になってよかったなあ」と思うのはどんな時ですか?
患者さんから感謝されたときですね。家庭医として、初診の段階で、疾患を診断し、適切な治療に結びつけることが出来て感謝されることもあれば、漠然とした体調の悪さが、その方がずっと悩んでいた家族の問題をお聞きしたことで、改善したと感謝されることもあります。自分が家庭医として働いていることで、誰かが幸せになっているというのは、大きな喜びですね。
「家庭医って大変だなあ」と思うのはどんな時ですか?
家庭医として、大変だと思うことは、思いつかないですね。様々な問題を抱えてらっしゃる患者さんの苦労に比べると、自分の仕事の苦労は大変だと思わないです。
HCFMの雰囲気を教えてください
私にとっては、働けることが幸せと感じられる雰囲気があります。研修医が指導医である自分と同じレベルで、診療所の運営を考えてくれたり、周りのスタッフが、一緒になって、患者さんのケアのことを考えてくれたりと、一緒に働きたいと思える人たちが集まっているところと思います。
誰(何)に似ていると言われますか?
写真をごらんいただいて、誰かに似ていますでしょうか?小学生の頃は、前髪が尖っていたので、「スネ夫」と言われたことがあります。大学6年生になるまで、体重が50kgしかなかったのですが、その当時は、自分の口からお話しするのは恥ずかしいのですが、「乙武洋匡さん」や「及川光博(ミッチー)さん」と言われたこともありました。しかし、60kgを超えた今は見る影もありません。自分で写真を見ていると、笑った顔は、目が細くて、「えべっさん」でしょうか。
尊敬する人を教えてください
人生で出会った人すべてですね。皆さん、素晴らしいなと思うものを持ってらっしゃいます。指導医になってよかったと思うのは、研修医の素晴らしいところを学べることです。一緒に働く研修医が数か月おきに変わっていくので、この2年間で、8人の研修医から、色んな事を学びました。
最近あった面白いことを教えてください
面白いというと失礼かもしれませんが、ある人の意外な一面を知ったことですね。まじめで仕事が出来るあの人が!普段、お会いしている方々も、きっと意外な一面があるんだと思います。そんな一面を垣間見て、その人のことがさらにわかることで、私の好奇心が満たされます。
あなたの人生に欠かせないものを教えてください
自分が関わる人の幸せでしょうか。これがなければ、私は生きている意味がありません。周りの人が喜んでくれるから、自分は頑張れているとつくづく感じております。

今後の目標を教えてください
プライベートの目標は、結婚ですね。まだ、相手がいませんが、そろそろ家庭を持つ家庭医になりたいです。
仕事の目標は、日本で良質の家庭医を育てるために、自分自身の質をもっと上げたいと思っています。家庭医としても、人間としても。

ホームページをごらんの方にメッセージをお願いします
我々のホームページをご覧いただいて、ありがとうございます。このホームページは、私が誇りに思っている人たちやものにあふれております。もし、共感していただける部分がありましたら、診療を受けに来る、見学に来る、後期研修に応募するなど、どのような形でもかまいませんので、アクセスしていただければと思います。