伝統漢方薬「加味帰脾湯」は認知症患者の行動・心理症状(BPSD)および好ましい肯定的感情を改善する

-文献名-
Traditional Chinese medicine Jia Wei Gui Pi Tang improves behavioural and psychological symptoms of dementia and favourable positive emotions in patients. Tatsuya Nogami. Psychogeriatrics. 2023 May;23(3):503-511.

-要約-
1. INTRODUCTION
日常臨床において、漢方薬「加味帰脾湯(かみきひとう)」がBPSDと肯定的感情の両方を改善するように見受けられることが見出された。本処方は14種類の生薬から構成されている。日本において加味帰脾湯には「貧血、不眠症、精神不安、神経症」の4つの公式な効能・効果が認められている。日常臨床で不安の治療によく用いられるが、高齢の認知症患者における不安に対する有効性はこれまで研究されていなかった。
そこで本研究では、認知症患者のBPSD治療および肯定的感情の増進に対する加味帰脾湯の有効性を評価するため、評価者盲検無作為化対照試験を実施した。

2. 方法(METHODS)
**研究デザインと概要**
本研究は、アルツハイマー型認知症(AD)および混合型認知症(脳血管障害を伴うAD)患者を対象とした多施設共同・評価者盲検無作為化対照試験である。参加者は加味帰脾湯を投与する治療群と、漢方薬を投与しない対照群に無作為に割り付けられ、BPSD、好ましい肯定的感情、および認知機能が追跡・観察された。データは2021年10月から2022年1月にかけて収集された。

**対象者および群分け**
福岡県、大阪府、宮城県の4つの長期療養・介護施設から参加者を募集した。DSM-V基準に基づき認知症と診断され、過去1年間の身体状態が安定している63名の患者が登録された。
選定基準は以下の通りである:
 1. 65歳〜100歳
 2. NPI-NH合計スコアが3点超
 3. NPI-NHの「不安」または「夜間行動障害」の項目が陽性
 4. MMSEスコアが25点未満

除外基準は、過去1年以内に大うつ病や双極性障害を発症した者、抗うつ薬や他の漢方薬を使用している者、過去2年以内に悪性腫瘍や生命を脅かす疾患を患った者とした。抗うつ薬の服用者は除外されたが、コリンエステラーゼ阻害薬やメマンチン(3ヶ月以上使用)、抗不安薬、睡眠薬、抗けいれん薬の使用は継続が許可された。

**無作為化と盲検化**
NPI-NHスコア(妄想、幻覚、興奮、うつ症状、不安、多幸、無為、脱抑制、易刺激性、異常行動の基本10項目に、「睡眠異常」と「食行動異常」を加えた合計12項目)に基づき、コンピュータ生成の乱数を用いて各群へ1:1の割合で階層化無作為割り付けを行った。患者や研究者に対する盲検化を行わないオープンラベル形式で実施されたが、評価(観察)は処方内容を知らされていない介護スタッフが担当した。

**投与プロトコル**
治療群には「ツムラ加味帰脾湯エキス顆粒」を1日7.5g(1回2.5gを1日3回)、28日間経口投与した。対照群には漢方薬を投与せず、治療群も加味帰脾湯以外の漢方薬は投与しなかった。既存の非漢方薬の投与は継続され、環境調整や介護サポートは全参加者に提供された。

**評価項目**
主要評価項目は、28日間の介入前後におけるBPSDの評価指標であるNPI-NH合計スコアの変化量とした。主要な副次評価項目は好ましい肯定的感情を反映するDEI(Delightful Emotional Index)スコアの変化量とし、その他の副次評価項目として認知機能を測定するMMSEスコアの変化量を設定した。
DEIは以下の10項目(各0〜9点、合計0〜90点)で構成される:
(1) 適切な挨拶、(2) 豊かな表情、(3) 物事への関心、(4) 会話の継続、(5) 歓喜の提示、(6) 感謝の表明、(7) 拍手への反応、(8) 不安の提示(逆付け)、(9) ユーモア、(10) 美悪の識別。また、月次の生化学検査(肝・腎機能、血清カリウムなど)も安全性の副次評価項目として測定された。

**統計解析**
NPI-NHスコアの8.0ポイント(最小臨床的意味のある差:MCID)の改善を検出するため、各群30名(計60名)で検出力80%(両側有意水準5%)となるよう算出された。脱落を見越して治療群33名、対照群30名を登録した。解析には群間比較に一元配置分散分析(ウェルチの検定)、群内前後比較に対応のあるt検定を使用した(P < 0.05を有意とした)。

3. 結果(RESULTS)
**対象者背景**
計63名(男性18名、女性45名、平均年齢:83.3 ± 6.0歳)が登録された。DEIスコアのみベースラインで有意差が認められた(治療群 23.3 ± 22.9 vs 対照群 37.0 ± 27.3, P = 0.037)。

**NPI-NHスコア:**
NPI-NH合計スコアの変化量は両群間で有意差を示した(P < 0.001)。治療群では、スコアがベースラインの29.8 ± 17.3から13.2 ± 9.4へと有意に改善した(P < 0.001)。一方、対照群では29.0 ± 20.4から24.6 ± 23.1への変化であり、統計的有意差は見られなかった(P = 0.056)。

**DEIスコア:**
DEIスコアの変化量も両群間で有意差を示した(P < 0.001)。治療群では、スコアがベースラインの24.3 ± 23.0から32.5 ± 21.2へと有意に改善した(P = 0.001)。一方、対照群では37.0 ± 27.3から34.6 ± 28.8への変化であり、統計的有意差は見られなかった(P = 0.105)。

4. 考察(DISCUSSION)
本研究において、加味帰脾湯の投与により認知症患者のBPSDおよび好ましい肯定的感情の両方が改善した。対照群ではDEIスコアの改善が見られなかったのに対し、加味帰脾湯群ではDEIスコアが著しく向上した。

BPSDは不安と強く関連している。本研究において加味帰脾湯は、アルツハイマー病患者のBPSDに伴う興奮、抑うつ、不安、脱抑制、いらだちを明確に改善した。先行研究において加味帰脾湯が軽度認知障害(MCI)を改善することや、アミロイドβ誘発性のタウ蛋白リン酸化・軸索萎縮の抑制、記憶障害モデルマウスでの記憶改善作用などが報告されている。本研究ではMMSEスコアに変化が見られなかったことから、加味帰脾湯が認知機能を低下させないことが示唆される。また、加味帰脾湯に含まれる生薬の抗不安・抗うつ作用が、好ましい肯定的感情の向上に寄与したと考えられる。

本研究にはいくつかの限界が存在する。
 1. 適切なプラセボが用意できなかったため、プラセボ対照二重盲検試験ではない点。
 2. 28日間という短い期間では、MMSEでわずかな認知機能変化を検出できない点。
 3. ベースライン時のDEIスコアに両群間で有意差が存在した点。
 4. サンプルサイズ計算をNPI-NHのみに基づいて行った点。
 5. DEIの統計的妥当性検証がまだ完了していない点。

5. 結論(CONCLUSION)
伝統漢方薬「加味帰脾湯」は、認知機能を低下させることなく、BPSDと好ましい肯定的感情の両方を改善させた。したがって本処方は、単にBPSDを抑制・緩和するだけでなく、認知症患者の支援とケアにおいて極めて重要な「喜びや歓喜といった感情的側面」を向上させる潜在力を有している。

【開催日】2026年9月9日(水)

中年期の血管リスク負担と認知症発症までの生存年数  -地域社会における動脈硬化リスク神経認知研究-

-文献名-
Jiaqi Hu, Josef Coresh, Jason R. Smith, A. Richey Sharrett, Rebecca F. Gottesman, Pamela L. Lutsey, Thomas H. Mosley, Elizabeth Selvin, Michael Fang, Jordan Weiss.
“Midlife Vascular Risk Burden and Dementia-Free Survival Years. ” Neurology Open Access. 2026;2:e000152.doi:10.1212/WN9.0000000000000152

-要約-
1. Introduction (導入)
認知症は現在,深刻な臨床および公衆衛生上の課題となっており,米国の中年成人の約42%が生涯のどこかで認知症を発症する可能性があると推計されている.効果的な治療法が限られている現在,発症前の「予防」が極めて重要な意味を持つ.
糖尿病,高血圧,喫煙などの血管リスク因子は,認知症リスクの要因として知られており,中年期に出現して神経変性病理や慢性的な脳血管障害に長期的な影響を及ぼす.これまでの研究では50歳時点での心血管の健康状態の悪化が認知症の発症リスクを高めることが示されているが,主にハザード比などの病因的関連性の強さに焦点が当てられており,血管の健康状態が「認知症のない生存期間の長さ」に具体的にどのように影響するかを直接定量化したコホート研究はほとんどなかった.本研究は,地域ベースの大規模コホートを長期追跡したデータを用い,55歳から95歳までの期間において,中年期の血管リスク負荷(これら3つのリスク因子の蓄積数)に応じて,生存年数が受ける複合的な影響を明らかにすることを目的としている.

2. Method (方法)
● 研究対象集団 (Study Population)
米国の4つの地域から参加した45〜64歳の成人15,792名を対象とする長期コホート研究「ARIC(Atherosclerosis Risk in Communities)研究」のデータを分析した.ベースラインとして,HbA1cや認知機能評価が行われた1990〜1992年を選択し,55歳時点で生存し,かつ認知症のない12,409名を最終的な解析対象とした.

● 曝露評価 (Exposure Assessment – 血管リスク負荷)
中年期における以下の3つの主要な「修正可能な血管リスク因子」の数(0,1,2,または3)に基づいて4つのグループに分けた.
それぞれの定義は以下の通り.
糖尿病:医師による診断歴,治療薬の使用,またはHbA1c ≧6.5% のいずれか
高血圧:収縮期血圧 ≧140 mmHg,拡張期血圧 ≧ 90 mmHg,または降圧薬の使用のいずれか
喫煙状況:自己申告に基づく current smoker (ex-smokerおよびnever smokerは対照群とした)

● 認知症および死亡の判定 (Dementia & Mortality Adjudication)
認知症の判定は,対面での詳細な神経心理学的検査,定期的な電話インタビュー,および病院の退院記録や死亡診断書コードに基づく一貫した継続監視(2022年まで)を組み合わせ,専門家パネルによる厳密な再審査を経て確定された.認知症を伴わない死亡は,National Death Index(全米死亡索引)を含む複数の死亡記録から確認された.

● 統計分析 (Statistical Analysis)
年齢を時間軸とし,55歳を追跡の起点,95歳を終了年齢とした.55歳以上であった参加者は、ベースライン時の年齢で研究に参加した(後期参加)のに対し、55歳未満の参加者は55歳時点でリスクセットに入った。追跡期間は、研究参加時から2022年11月1日時点で認知症の初発、死亡、追跡不能の打ち切りが発生した年齢まで,または95歳での打ち切りまでと定義した.
認知症リスクを過大評価しないよう,認知症のない死亡を「競合リスク(Competing Risk)」として適切に考慮した非パラメトリック累積発生率関数(CIF)を用いた.55歳から95歳までの「認知症のない生存年数」を定量化するため,制限付き平均生存時間(RMST)分析を用いて,生存かつ非認知症状態の確率曲線を積分した.さらに,年齢・性別・人種・APOE-e4遺伝子型による層別化を行い,各種調整要因(学歴,身体活動,BMI,既往脳卒中など)を加えた原因別Cox比例ハザードモデルによる感度分析も実施した.

3. Results (結果)
追跡期間中央値26.3年において,解析対象者12,409名(平均年齢56.2±5.2歳、女性56%)のうち,3,008名が認知症を発症し,5,238名が認知症を発症せずに死亡した.血管リスクの負担が大きいほど,認知症と死亡双方の発生率が大幅に高くなり,特に死亡において強い勾配が観察された.

● 相対リスク(ハザード比)の段階的上昇
リスク因子0個の群と比較して,リスク因子が3個ある群では:
・認知症発症のハザード比(HR): 2.69倍(95% CI: 1.94-3.73)
・認知症を伴わない死亡のハザード比(HR): 5.61倍(95% CI: 4.67〜6.74)
・複合アウトカム(認知症または非罹患死)のハザード比(HR): 4.38倍(95% CI: 3.73〜5.13)
と,いずれも血管リスク因子の数が増えるに従ってハザード比が著しく上昇していた.

● 認知症のない生存年数(55〜95歳)の定量化
制限付き平均生存時間(RMST)分析の結果,中年期の血管リスク負荷が増加するにつれて,認知症なく健康に生きられる期間は以下のように一貫して減少した.


中年期の血管リスク因子が0個の個人は,3個持つ個人と比較して,55~95歳の間に,認知症を伴わない健康な生存期間を平均して「12.6年(約13年)」長く過ごせることが示された.

● サブグループおよび層別化分析
年齢,性別,人種,APOE-e4保有状態といった各人口統計学的因子や遺伝的感受性に関わらず,血管リスク負荷の増加に伴う認知症フリー生存年数の減少という逆相関は一貫して認められた.

※APOE ε4(アポリポ蛋白Eイプシロン4)は、遅発性アルツハイマー型認知症の発症リスクを高める最大の遺伝的危険因子であり,日本人はホモ接合体が1%,ヘテロ接合体が26%程度と言われている)
・性差: 女性はすべてのリスクレベルにおいて男性よりも認知症のない生存年数が長かった(3つのリスク因子がある場合,女性は18.1年,男性は16.6年).
・人種差: 黒人参加者は白人参加者と比較して,全体的に認知症フリー生存年数が短く,血管リスクが高くなるほど格差が拡大する傾向がみられた(3つのリスク因子がある場合,黒人は16.0年,白人は19.6年).
・遺伝因子の影響: APOE-e4保有者は非保有者に比べて,認知症のない生存年数が一貫して短縮していた.
・75歳時点での認知症の累積発生率の推定値は,3つのリスク因子がある群で10%,リスク因子が0の群で3%だった.
・85歳時点では,すべての血管性危険因子群において認知症の累積発症率の推定値は約18%~20%に収束した.これはリスク因子が多いと競合する死亡率が高い(75歳時点で,3つのリスク因子がある群の53%が認知症を発症せずに死亡したがリスク因子が0の群は10%に留まった)ことが反映された結果と推察される.

4. Discussion (考察・解釈)
中年期の血管の健康状態が良好であるほど(リスク因子を0個に維持する),最大12.6年(約13年)の認知症フリー生存期間が長くなることが示された.血管リスクの負担が大きい人ほど,より早い年齢で認知症を発症したり死亡したりする可能性が高く,その結果全生存期間が短くなり認知症発症までの生存年数も減少した.本研究は,より長く認知症のない人生を送るためには中年期までに血管リスク因子の発症を予防することが重要であることを強く示唆している.

● 本研究の限界 (Limitations):
第一に血管リスク因子が「中年期の単一の評価」に依存しており,その後の治療介入や生活習慣の変化を追えない点,第二に認知症の自己申告や病院の診断コードへの依存により軽度認知障害や診断の遅れについて精度に差異が生じる可能性がある.また,リスク因子間の潜在的な相互作用を考慮に入れられなかったほか,残留交絡の可能性を完全に排除することもできなかった.

サブグループ解析において,黒人は白人に比べ血管リスク負荷がもたらす認知症のない生存年数の減少がより早期かつ顕著であり,人種間の健康格差が明らかである.これは,医療へのアクセスや,SDHへの介入が必要 であることを示している.

【開催日】2026年9月2日(水)

小児期の肥満、成人期の肥満および心血管疾患の危険因子

-文献名-
Markus Juonala, Costan G. Magnussen, Gerald S.Berenson, Alison Venn, Trudy L. Burns, Matthew A. Sabin, Sathanur R.  Srinivasan, and Olli T. Raitakari.
Childhood Adiposity, Adult Adiposity, and Cardiovascular Risk Factors
N Engl J Med 2011;365:1876-1885

-要約-
【背景】
小児期の肥満は成人期の心血管リスク因子の増加と関連しているが、小児期に肥満であった者が成人期に非肥満(適正体重)となった場合に、これらのリスクが低下するかどうかは十分に解明されていない。

【方法】
小児期(3〜18歳)および成人期(20〜45歳)の双方でBMI(体格指数)を測定した4つの前向きコホート研究(米国の3研究、フィンランドの1研究)のデータを解析した。平均追跡期間は23年であった。高脂肪状態を定義するために、小児については国際的な年齢別・性別ごとの過体重および肥満のBMIカットオフ値を用い、成人についてはBMIカットオフ値30を用いた。

【結果】
6328名の被験者のデータが利用可能であった。小児期から成人期にかけて一貫して高脂肪状態であった被験者は、小児期に正常なBMIを示し、成人期に非肥満であった人々と比較して、2型糖尿病(相対リスク 5.4;5%信頼区間[CI] 3.4~8.5)、高血圧(相対リスク 2.7; 95%信頼区間[CI]、2.2~3.3)、低密度リポタンパク質コレステロール値の上昇(相対リスク、1.8;95% CI、1.4~2.3)、高密度リポタンパク質コレステロール値の低下(相対リスク、2.1;95% CI、1.8~~3.8)、および頸動脈アテローム性動脈硬化症(頸動脈の内膜中膜複合体厚の増加)(相対リスク 1.7、95% 信頼区間 1.4~2.2)(すべての比較においてP≤0.002)。 小児期に過体重または肥満であったが、成人期には肥満ではなかった人々は、小児期から成人期にかけて一貫して正常なBMIを維持していた人々と同様のリスクを示した(すべての比較においてP>0.20)。

【結論】
小児期に過体重または肥満であり、成人期も肥満であった子どもは、2型糖尿病、高血圧、脂質異常症、および頸動脈アテローム性動脈硬化症のリスクが高かった。小児期に過体重または肥満であったが、成人期までに非肥満となった子どもにおけるこれらの転帰のリスクは、一度も肥満になったことのない人々と類似していた。(フィンランドアカデミーおよびその他の機関の助成による。)

【開催日】2026年8月12日(水)

難治性慢性副鼻腔炎に対するマクロライド長期療法 VS 鼻内視鏡手術 VS プラセボの治療成績を比べると?

-文献名-
C Philpott et al.The clinical effectiveness of clarithromycin versus endoscopic sinus surgery for adults with chronic rhinosinusitis with and without nasal polyps (MACRO): a pragmatic, multicentre, three-arm, randomised, placebo-controlled phase 4 trial. Lancet.2025;406(10506):926-939.

-要約-
1. Introduction
 慢性副鼻腔炎(Chronic Rhinosinusitis: CRS)は、成人の約9%が罹患していると推定される非常に一般的な慢性疾患である。副鼻腔炎の症状は単なる局所の不快感に留まらず、患者の健康関連QOLを著しく低下させる。先行研究において、重症CRS患者におけるQOLの低下度は、狭心症や慢性閉塞性肺疾患(COPD)などの深刻な慢性疾患と同等、あるいはそれ以上であることが報告されており、社会経済的な疾病負荷(disease burden)が極めて大きい。
 プライマリケアおよび耳鼻咽喉科における標準的な初期治療として、ガイドラインに準拠した内科的治療(局所ステロイド点鼻薬の長期的使用、および生理食塩水による鼻洗浄)が行われる。しかし、これらの適切な初期治療を尽くしてもなお症状が残存する「治療抵抗性」の患者が全体の約3分の1存在することが大きな臨床的課題であった。
 このような初期治療抵抗性例に対するセカンドラインとして、実臨床では主に以下の2つのアプローチが広く選択されてきた。
マクロライド系抗菌薬の少量長期投与:主にクラリスロマイシンなどが用いられ、抗菌作用に加えて抗炎症作用・免疫変調作用を期待して3ヶ月程度投与される。一定の改善を示す中等度のエビデンスはあるものの、プラセボとの厳密な比較や上乗せ効果の検証は不十分であった。
内視鏡下副鼻腔手術(Endoscopic Sinus Surgery: ESS):外科的に副鼻腔を開窓し、換気と排泄を改善させる。しかし、内科的治療と直接比較した高品質なランダム化比較試験(RCT)のデータが不足していたため、効果の確実性に疑問が残されていた。
これら2つの主要な治療選択肢(ESSとマクロライド長期投与)を直接比較(Head-to-Head)した高品質な試験は過去に存在しなかった。
 本研究(MACRO試験)は、適切な初期内科治療を行ったにもかかわらず症状が残存する成人CRS患者を対象に、内視鏡下副鼻腔手術(ESS)とクラリスロマイシン長期少量投与の臨床的有効性および安全性を直接比較することを目的とした。

2. Method
2.1 試験デザイン
英国国内の17の医療機関(主として2次・3次医療機関の耳鼻咽喉科外来)において実施された、実用的(Pragmatic)、3群並行、多施設共同のランダム化比較試験(RCT)である。厳格に統制された実験環境ではなく、実臨床に即した環境下での有効性を評価する設計(プラグマティック・トライアル)が採用された。
2.2 対象患者
組み入れ基準:
18歳以上の成人。
ガイドラインに適合した適切な初期内科治療(局所ステロイド点鼻、鼻洗浄)を最低6週間以上継続しても症状が残存するCRS。
鼻副鼻腔症状評価質問票(SNOT-22)スコアが20点以上(中等症以上)。
CT検査においてLund-Mackayスコアが4点以上であり、客観的に副鼻腔病変が確認されている。
除外基準:
過去12ヶ月以内に3週間を超えるマクロライド系抗菌薬の使用歴がある。
過去6ヶ月以内に副鼻腔手術の既往がある。
コントロール不良の重症喘息、免疫不全症、マクロライドに対する禁忌(QT延長など)を有する。
2.3 介入内容(ランダム化と割り付け)
適格基準を満たした参加者は、ウェブベースのシステムを用いて1:1:1の割合で以下の3群にランダムに割り付けられた。全群において、ベースライン治療として「標準内科治療(モメタゾンなどの局所ステロイド点鼻薬および生理食塩水による鼻洗浄)」が継続して併用された。
ESS群(手術治療群):ランダム化から6週間以内に内視鏡下副鼻腔手術を実施。具体的な術式(前頭洞・上顎洞・篩骨洞の開窓など)の範囲は、担当外科医の臨床的判断に一任された。
CLAR群(抗菌薬治療群):クラリスロマイシンを計12週間投与。スケジュールは最初の2週間が250mgを1日2回、その後の10週間は250mgを1日1回(実臨床における標準的な少量長期投与プロトコル)。
PLA群(プラセボ対照群):クラリスロマイシンと外見・味が識別不能なプラセボを同様のスケジュールで12週間服用。
2.4 盲検化
CLAR群とPLA群の間は、患者および臨床医に対して厳密な二重盲検(Double-blind)された。一方、ESS群については、偽手術の実施が倫理的・実用的に困難であるため、非盲検(Open-label)デザインとされた。
2.5 評価項目と統計解析
主要評価項目(Primary Outcome)
ランダム化から6ヶ月時点におけるSNOT-22(Sino-Nasal Outcome Test-22)の合計スコア。SNOT-22はCRS特異的なQOL質問票であり、22の症状項目(鼻症状、睡眠、耳・顔面症状、心理的影響など)を各0点(問題なし)から5点(最悪)の6段階で評価する(総計0〜110点)。スコアが低いほどQOLが良好であることを示す。事前に設定された臨床的に意味のある最小の差(MCID: Minimal Clinically Important Difference)は8.9点である。
解析手法:
主要解析は、ITT解析が行われた。ベースラインのスコアや施設等を調整した線形混合モデルを用いて、各群間の平均差および95%信頼区間(CI)を算出した。

3. Results
3.1 対象患者のベースライン特性
計514名の患者がランダム化された(ESS群: 171名、CLAR群: 172名、PLA群: 171名)。参加者の全体的な背景データは各群間での背景因子の不均衡は認められなかった。

登録患者の80%が「鼻ポリープを伴う慢性副鼻腔炎(CRSwNP)」であり、約4割に喘息の合併や手術既往があるなど、難治性かつ比較的重症度の高い集団を反映していた。
治療遵守率(アドヒアランス)に関して、CLAR群およびPLA群の約98%が予定されたプロトコル通りに投薬を完了した。ESS群においては、割り付けられた患者の87%が6ヶ月の追跡期間内に予定通り手術を完了した。

3.2 主要評価項目(6ヶ月時点のSNOT-22スコア)の結果
ランダム化から6ヶ月時点における各群のSNOT-22平均スコアおよび群間比較の結果は以下の通りであった。
プラセボ(PLA)群:46.8点
クラリスロマイシン(CLAR)群:42.8点
内視鏡下副鼻腔手術(ESS)群:24.3点

主要な群間対比(調整後平均差):
クラリスロマイシン群 vs プラセボ群
調整後平均差は -3.11点(95%CI: -7.50 to 1.28、p=0.17)であった。この結果は統計学的な有意差を示さず、さらに臨床的意味のある差の基準(MCID: 8.9点)を大きく下回った。すなわち、標準的な内科治療にクラリスロマイシンを長期上乗せする効果は、プラセボを上乗せした場合と明確な差異がないことが実証された。
手術(ESS)群 vs クラリスロマイシン群
調整後平均差は -18.13点(95%CI: -22.50 to -13.76、p<0.0001)であった。統計学的に極めて高度な有意差が認められ、かつMCID(8.9点)の2倍を超える大幅なQOL改善効果が手術によってもたらされることが示された。 3.3 症状の時系列推移 追跡期間中の時系列評価において、ESS群では手術実施直後の「6週間時点」ですでにSNOT-22スコアの大幅な低下が認められ、その改善効果は3ヶ月後、6ヶ月後へと追跡が進むにつれてさらに拡大・維持された。一方で、CLAR群のスコア推移は、すべての評価時点(6週、3ヶ月、6ヶ月)においてPLA群の緩やかな改善軌跡とほぼ完全に一致しており、マクロライド投与による追加的な症状改善効果は確認されなかった。

4. Discussion
4.1 主要な知見の臨床的意義
MACRO試験の結果は、初期内科治療抵抗性の成人CRS患者に対する二次選択の標準化において、極めて重要な知見を提供する。適切な初期治療(ステロイド点鼻、鼻洗浄)を行っても症状が残る中等症以上の症例において、ESSによる外科的介入は早期かつ強固なQOL改善をもたらす。対照的に、これまで実臨床で広く行われてきたマクロライド抗菌薬のルーチンな少量長期投与は、プラセボを超える臨床的ベネフィットをもたらさないことが明らかになった。これは、漫然とした抗菌薬長期投与がもたらす耐性菌のリスクや、薬剤特有の副作用(消化器症状、QT延長リスク等)を鑑みると、その使用を強く制限すべき根拠となる。
4.2 本研究の限界(Limitations)
特定のサブグループにおける検出力不足:参加者の80%が鼻ポリープを伴う慢性副鼻腔炎(CRSwNP)であった。
病態生理学的にマクロライドは好中球性炎症(非2型炎症)が主体とされる「鼻ポリープを伴わない慢性副鼻腔炎(CRSsNP)」に有効である可能性が従来指摘されていたが、本試験におけるCRSsNP患者は全体の20%に過ぎず、このサブグループにおいて効果を完全に否定・評価するための統計学的検出力が不足している可能性がある。
ESS群における非盲検化のバイアス:手術という介入の性質上、偽手術を行っていない。そのため、患者が「手術を受けた」という認識を持つことによる主観的なプラセボ効果、およびQOL質問票(SNOT-22)の回答における評価バイアスが結果を一定程度修飾している可能性は排除できない。
一般化の可能性(対象集団の選択バイアス):本試験は、英国の2次・3次医療機関(専門外来)に紹介された重症度の高い患者を対象としている。そのため、プライマリケア(診療所等)を初めて受診した軽症例や、初期治療がまだ十分に行われていないCRS患者に対して、最初からESSをファーストラインとして推奨する根拠とはならない。

5. Conclusion
適切な初期内科治療(ステロイド点鼻および鼻洗浄を最低6週間)を行っても症状が残存する成人慢性副鼻腔炎において、内視鏡下副鼻腔手術(ESS)はクラリスロマイシン長期投与およびプラセボに対して、劇的かつ明確に優れたQOL改善(SNOT-22スコアの改善)をもたらす。一方で、クラリスロマイシンの少量長期投与はプラセボに対する追加効果を示さなかった。治療抵抗性のCRSに対しては、漫然と抗菌薬投与を継続するのではなく、適切なタイミングで外科的治療(ESS)を提示・考慮することが、QOL向上と適切な抗菌薬適正使用の観点から強く推奨される。

【開催日】2026年6月10日

ステップの踏み間違いはダンスの終わりではない:省察的実践(リフレクティブ・プラクティス)の課題を受け入れる

-文献名-
Clement T. A misstep is not the end of the dance: embracing the challenges of reflective practice. Education for Primary Care. 2026. DOI: 10.1080/14739879.2026.2613406

-要約-
(アブストラクト和訳)
臨床教育者にとって耳が痛くなるような(直面せざるを得ない)、省察的実践に関する主張がいくつか存在する。例えば、省察のモデルはしばしば、自身は省察を行わない教師によって教えられている、といったことである。これらの主張を真摯に受け止め、著者は自らの省察能力を向上させるために、省察的実践の一形態である「意図的気づき(Intentional Noticing)」を実践することを決意した。
本稿では、臨床実習指導者のグループに携わっていた同僚が発した「もし聞きたいなら、一つ(考えが)あるわよ」というフレーズの吟味から始め、具体的な事例を用いて「意図的気づき」の特徴を概説する。
本稿が取り上げるのは、その後機会が訪れた際に、著者自身がそのような誘いかけのコメントを発せられなかったという失敗、とっさの状況下(in the heat of the moment)で自らの教育的価値観と一致した行動をとることの難しさ、「探究学習」と「教え込み(didactic teaching)」の間にあるとされる緊張関係の探求、そして最終的にこの緊張関係をうまく処理する方法を見つけ出す過程である。
この事例は、省察が困難な作業であること、そして教育が完全に成功することは決してなく、終わりなき調査と試行のプロセスであることを浮き彫りにしている。
著者は、「意図的気づき」が、長期にわたり自らの実践を研究し、無反省な行動(unreflective doing)という課題に立ち向かい、将来試すべき新しいアイデアを発見するための有用な方法であることを見出した。
(全文和訳は別途共有します)

まとめ
① 「意図的気づき(Intentional Noticing)」による省察の習慣化
他者の優れた声かけや自分自身の失敗に対して意識的に「気づき(目印をつけ)」、それを記録し、意味づけをして次の行動に繋げるプロセスは、我々が陥りがちな「無反省な指導(unreflective doing)」を脱し、指導力を継続的にアップデートするための強力で実践的なツールである。
1. Marking(標識づけ):気づいた出来事を重要なものとして記録する
2. Recording(記録):出来事の簡潔な記述を行う
3. Sensemaking(意味づけ):何が起きたかを説明しようとする
4. Responding(応答):次に試みる行動を考える

② 「探究学習(引き出す)」と「教え込み(与える)」の葛藤への対処
学習者に自ら答えを出してほしいという思いと、行き詰まった学習者を助けたい(教えたい)という思いのジレンマは、多くの指導者が直面するものである。この葛藤のなかで不適切な問い詰め(Guess what I’m thinking)をしてしまうのを防ぐには、「今は純粋なファシリテーターから、知識を提供する役割に移行する」と学習者へ明示的に伝えるなど、意図的な役割の切り替えが有効である。

※参考:Schwarzの6つのファシリタティブ役割
ファシリテーター: 議論の内容には中立を保ち、集団のプロセス改善に特化して意思決定を支援します。
ファシリタティブ・コンサルタント: プロセス支援に加え、自身の専門的な見解や解決策もあわせて提供し導きます。
ファシリタティブ・コーチ: メンバーが自身の思考や行動を客観的に振り返り、主体的な気づきを得られるよう促します。
ファシリタティブ・トレーナー: 参加型の対話プロセスを通じ、新たな知識やスキルの効果的な習得と実践をサポートします。
ファシリタティブ・メディエーター: 対立する当事者間に入り、相互理解に基づいて建設的な問題解決と合意形成を仲介します。
ファシリタティブ・リーダー: 自らの意見を透明性をもって示しつつ、メンバーからの反証も促してチームを率います。

③ 失敗(ミスステップ)は「ダンスの終わり」ではなく、次へのステップである
完璧な教育というものは存在せず、とっさの状況下で自分の教育理念と矛盾した行動(失敗)をとってしまうことは誰にでもある。しかし、その失敗を隠さずに省察し、次に試すべき新しいアイデアを見つけ続ける限り、それは「終わりのない探求と試行のプロセス」の一部であり、決して致命的な終わりではない。

【開催日】2026年3月11日

AI聴診器で、心不全の検出率は向上するか

-文献名-
Triple cardiovascular disease detection with an artificial intelligence-enabled stethoscope (TRICORDER) in the UK: a cluster-randomised controlled implementation trial
Kelshiker, Mihir A et al. The Lancet, Volume 407, Issue 10529, 704 – 715

-要約-
Research in context

この研究以前のエビデンス

2023年10月1日にPubMedで「人工知能」AND「ランダム化比較試験」AND「実装研究」AND「リアルワールドエビデンス」AND「プライマリケア」という用語を使用して検索した。過去10年間に英語で発表された査読済み論文を対象とした。特にプライマリケアの現場において、臨床効果と文脈的な実装結果の両方を取り入れたプラグマティック試験方法論を用いて人工知能(AI)技術を前向きに評価した発表済み研究は確認されなかった。「人工知能」AND(「心血管」OR「心不全」OR「心房細動」OR「弁膜症」)AND「ポイントオブケア」AND「心電図」AND「前向き」という用語を使用した別の検索でも、AI聴診器などのAI統合型波形記録ハードウェアを医療現場で大規模に実装した研究は見つからなかった。最も近い比較対象は、米国のプライマリケアクリニック45施設を対象としたクラスターランダム化試験であるEAGLE研究であり、AIによる確率を用いて12誘導心電図レポートを補完することで、左室駆出率低下(≤50%)の検出率が向上することが示されました。2025年7月21日に文献検索を更新しましたが、これらの結論を変える新たなエビデンスは見つかりませんでした。

この研究のもたらす価値

我々の知る限り、TRICORDERは臨床AI技術の初のクラスターランダム化比較試験であり、また国のプライマリケアシステムにおける初の大規模導入試験である。この試験には、AI研究の分野では代表性が低い英国国民保健サービス(NHS)のプライマリケア診療所205施設が参加した。ランダム化比較試験の導入方法は、既存研究における主要なギャップに対処し、アルゴリズム検証にとどまらず、実世界におけるアルゴリズムのパフォーマンス、診断効果、採用パターン、導入状況に応じた障壁を評価することを目指した。TRICORDERで研究中のAI聴診器は、心不全、心房細動、弁膜症といったプライマリケアで診断が遅れがちな疾患に対する3つの異なるアルゴリズムを統合している。成果は、患者レベルの分析のためにAI聴診器データで強化されたNHSセキュアデータ環境(実世界データ)への新たなアクセスを通じて測定された。 972 人の臨床ユーザーと 12,872 人の患者検査を通じて、3 つの症状のそれぞれの検出率の向上は、アルゴリズムの性能が堅牢であるにもかかわらず、人口規模では達成されず、使用方法に依存していることが示され、低い普及率や関連するワークフローの不整合など、現実世界での導入において克服する必要がある大きな課題が明らかになりました。

入手可能なすべてのエビデンスが示すこと

TRICORDERによるPOC(ポイントオブケア)AI技術の研究は、プライマリケアにおける心血管疾患の検出能力向上の可能性を浮き彫りにしています。プライマリケアでは、臨床効果は実社会での導入とワークフローへの統合に密接に関連しています。このランダム化比較試験は、医療システムにおけるAI技術の効果的な導入とその後の影響を確実にするために、実践的な有効性研究と並行して実装科学を組み込んだ研究設計の重要性を実証しています。

以下生成AIを使用して要約しています。
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1. Introduction(緒言)
心血管疾患(CVD)は、世界的に死亡や医療費増大の最大の要因であり、診断の遅れが予後を悪化させている 。特に心不全、心房細動(AF)、弁膜症(VHD)の3疾患は一般的で治療可能だが、多くの場合、救急入院という進行した段階で初めて診断される 。英国のデータでは、心不全患者の70%以上が入院後に診断されているが、その半数は入院前の段階で一次診療(プライマリ・ケア)に症状を訴えて受診していた 。
AI搭載聴診器は、心電図(ECG)と心音図(PCG)を解析することで、心不全(特に駆出率が低下した心不全:HFrEF)、AF、VHDを高い精度で検出できることが先行研究で示されている 。しかし、これまでの研究はアルゴリズムの検証が主であり、多忙な実診療に導入した際の臨床的効果や実装上の課題を大規模に検証した試験は存在しなかった 。本研究は、この「技術」と「実装」のギャップを埋めるべく計画された 。
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2. Method(方法)
TRICORDER試験は、2023年10月~2024年5月に、英国の205のプライマリケア施設で実施した非盲検クラスター無作為化対照比較実装試験である。(英国国立衛生研究所[NIHR]などの助成を受けている)
参加施設を、介入群(96施設、登録患者70万1,933例[平均年齢44.5歳、女性48.9%])または対照群(109施設、85万1,242例[43.5歳、47.9%])に無作為に割り付けた。
 介入群の医師は、AI搭載聴診器(Eko DUO)が最大6台提供され、1時間の日常診療におけるAI聴診器使用の研修を受けたうえで臨床導入した。対照群は通常診療を行った。介入の性質上、参加者(施設、臨床医、患者)の盲検化は不可能だった。
 心音検査において、AI聴診器は15秒間の単一誘導心電図と心音図信号を記録した。これらのデータは3つのアルゴリズムに入力され、「左室駆出率低下(≦40%)」「心房細動」「弁膜症」の有無について、二値予測(陽性または陰性)の結果が返答された。

 主要エンドポイントは、新たに診断コードが付与されたあらゆる心不全(全サブタイプ)の発症率とし、英国国民保健サービス(NHS)のSecure Data Environmentから得たデータに基づき、1,000人年当たりの発症率(発症率比[IRR])として算出した。
● データソース(Discover SDE): 155万人以上の登録患者データを含む「NHS Discover Secure Data Environment」を活用した 。これは、プライマリ・ケアとセカンダリ・ケア(病院)の記録を統合し、リアルタイムでアウトカムを追跡できる高度なデータ基盤である 。
● 解析手法:
○ 意図した治療(ITT)解析: 割り付けられたすべての患者を対象とする解析。実際のデバイス使用の有無にかかわらず、システム全体の導入効果を評価する 。
○ プロトコル遵守(PP)解析: 実際にAI検査を受けた患者と、背景因子を揃えた(傾向スコアマッチング)対照群を比較する解析 。
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3. Results(結果)
試験期間中(2023年10月〜2024年5月)、205の診療所が参加した 。

臨床的アウトカム
● 主要評価項目(心不全検出): ITT解析の結果、1000人年あたりの新規診断率は介入群で2.58、対照群で2.76であり、有意な差は認められなかった(IRR 0.94 [95% CI 0.86–1.02]

● 診断場所: 「入院」ではなく「地域(GP)」で早期に診断される割合についても、群間で差は見られなかった 。

● 二次評価項目(AF・VHD): これらの疾患についても、ITT解析では有意な検出率の向上は見られなかった。
デバイス使用群(PP解析)の結果
一方で、実際にデバイスを使用した患者を対象としたPP解析では、劇的な結果が得られた 。
● 心不全: 検出率が2.33倍に上昇(p = 0.0046)
● 心房細動(AF): 検出率が3.45倍に上昇(p = 0.0013)
● 弁膜症(VHD): 検出率が1.92倍に上昇(p = 0.020)
デバイスの性能と使用実態
● 性能(Table 3): 心不全の陰性的中率は95%と高く、「除外ツール」としての有用性が示された 。しかし、VHDの陽性的中率は0.10(10%)と低く、確定診断には至らない
● 使用の推移(Figure 4): 12ヶ月間で12,725件の検査が行われたが、使用頻度は時間の経過とともに大幅に減少した 。12ヶ月後には、40%の診療所が全く使用しなくなり、上位5施設が全記録の34%を占めるという極端な偏りが見られた

【開催日】2026年3月4日

トラウマインフォームドなプライマリケアに対する、プライマリ・ヘルスケア従事者の視点:システマティックレビュー

-文献名-
Bulford E, et al.
Primary healthcare practitioners’ perspectives on trauma-informed primary care: a systematic review.
BMC Primary Care. 2024;25(1):18.

-要約-
1. 背景・目的
● 幼少期の逆境体験(ACEs)や家庭内暴力などのトラウマは、うつ病、心血管疾患、呼吸器疾患、がん、慢性疼痛、有害な物質使用など、多くの心身の健康問題と強く関連している。

● 家庭内暴力は世界中の女性の約3人に1人が経験しうる“複雑性トラウマ”であり、本人だけでなく子どもの発達や将来の健康にも影響する。

● プライマリケアの医療者は、こうしたトラウマの影響を受けた人たちに最前線で関わる立場にあり、トラウマインフォームドケア(TIC)の考え方が重要とされている。

● しかし、「プライマリケアの医療者自身がTICをどう理解し、実践し、どんな難しさを感じているのか」はバラバラに語られているだけで、体系的には整理されていなかった。

目的
一次医療従事者を対象にした質的研究を系統的にレビューし、
● TICの捉え方

● 実践を支えるもの/妨げるもの

● ケアを行う医療者の感情的負荷
を明らかにすること。

2. 方法
● 2023年7月までに主要な8つのデータベースを検索し、
プライマリケアの医療従事者を対象にTIC関連の経験・認識を扱った質的研究を抽出。

● 結果として、主に欧米・オーストラリア・北欧などから13本の研究がレビュー対象となった。

● NVivoを用いて質的データをコード化し、Thomas & Hardenの方法に基づく**テーマ別統合(thematic synthesis)**を行った。

● CASP質的チェックリストで研究の質を評価し、多くの研究で「目的の明確さ」「手法の妥当性」「分析の厳密さ」は概ね良好と判断された。

結果:3つの主要テーマとサブテーマ
3-1. テーマ1:パラダイム転換
「私は彼らと同じ側に立つ」
1. 生物医学的レンズの見直し

● 医療者は、症状だけを見る従来の生物医学的枠組みから、
「患者の行動や反応の背景にあるトラウマ・暴力・社会的抑圧(貧困、差別、植民地化の歴史など)を含めて理解する必要がある」と認識している。

● 一方、一部の一般医は「トラウマは専門家や別のサービスの領域であり、自分の仕事の範囲外」と感じるなど、受け止め方には幅がある。

2. トラウマを見抜く視点

● “扱いにくい”“繰り返し受診する”“身体症状が多い”患者の背後に、家庭内暴力や幼少期虐待などのトラウマが潜んでいると認識されていた。

● ただし、いつどこまで聞くべきか迷いも大きく、トラウマ歴を積極的にスクリーニングする人と、あえて詳細までは尋ねない人に分かれていた。

3. アドボカシー(擁護者)としての役割

● 医療者は、トラウマを抱える患者のために、

○ 安全な居場所へのアクセス

○ 社会保障や地域資源につなぐこと

○ 他機関との連携
といった“アドボカシー的な役割”を担う必要性を感じている。

● しかし現実には、地域資源の不足や制度の限界によって「必要だと思っても動けない」もどかしさも語られていた。

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3-2. テーマ2:信頼構築
「一歩ずつ進むこと」
TICの実践において、信頼関係の構築が中心的なテーマとなった。
1. 時間と空間の確保

● 多くの医師は、「問題解決を急ぐ姿勢を手放し、患者のペースに合わせて話を聴き、今の生活の安全と安定を支える(ホールドする)ことが大切」と語った。

● オーストラリアの若年女性向けクリニックでは、
「医師としては治して次に進みたいが、まずは安全確保と危険の低減、自分の生活を保てるよう支える『ホールド』が重要」
と表現された。

● 一方、ノルウェーのGPの一部は、「苦痛を伴う逆境体験のストーリーに付き合うのは日常業務にはそぐわない、問題は即座に解決されるべきだ」と述べ、時間と空間を与えるという考え方に懐疑的な声もあった。

● ほとんどの医療者が「本当は時間をかけたい」が、プライマリケアの診察時間の制約が大きな壁となっていると強調していた。

2. 身体診察・検査の難しさ

● 性的トラウマを経験した患者に対して内診や身体診察を行うとき、

○ 再トラウマ化させるリスク

○ それでも検査が必要な状況
の間で医療者は強い葛藤を感じていた。

● 説明と同意を丁寧に行い、患者がコントロール感を持てるようにすることが重要とされた一方で、現場でそこまで時間がとれない現実も語られた。

3. コミュニケーション

● 効果的なコミュニケーションは、信頼構築のサブテーマとして繰り返し登場した。

● 「急いで問診を詰め込む」「事務的に話を切り上げる」といった態度は、患者の安全感を損ないうると理解されていた。

● 言葉だけではなく、沈黙の扱い方、身体の向きや表情などの非言語的サインも、患者の安心・不安を左右する重要な要素として認識されていた。

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3-3. テーマ3:感情的負荷への対応
「頭も心も身体もすり減る」
1. 二次的トラウマ・思いやり疲労

● DVや虐待、戦争被害などの語りを聴き続けることで、医療者自身も強い感情的負荷を抱える。

● 「仕事が終わっても頭から離れない」「自分も無力感や怒りを感じる」といった語りがあり、二次的トラウマや思いやり疲労が示唆された。

2. 不安と責任感の板挟み

● 「どこまで関わるべきか」「介入しないことで危険が高まらないか」という不安が常につきまとい、

○ 児童虐待の疑い

○ パートナー暴力
などのケースでは、通報や介入判断の重さがストレスになっていた。

3. 支えになる要素

● 同僚とのピアサポート、チームでの振り返り、組織としてTICを大事にする文化は、医療者のレジリエンスを高める要因として語られた。

● また、「TICに取り組むことそのものが、医療者にとって仕事の意味ややりがいを再確認させる」といったポジティブな側面も報告されている。

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4. 結論・示唆
● プライマリケアの医療者は、TICを「トラウマを理解したうえで患者と同じ側に立つ姿勢」として認識しており、単なる技術ではなくパラダイムシフトだと捉えている。

● しかし、診療時間の少なさ、制度や組織文化の制約、地域資源の不足などにより、TIC を十分に実践することは難しいと感じている。

● 患者のトラウマに寄り添うケアは医療者自身にも大きな感情的負荷をもたらすため、
「患者へのTIC」と同時に「医療者へのTIC(心理的安全性・ピアサポート・適切な負荷)」が不可欠である。

● TICを現場で持続可能なものにするには、

○ 研修や教育の充実

○ チーム・組織レベルの支援体制

○ 医療者の感情的ケア
を含む、構造的な取り組みが必要と結論づけている。

【開催日】2025年12月10日

一般開業医におけるプラセボ治療の処方の実態

-文献名-
Fabian Wolters, Kaya Peerdeman, Jacobijn Gussekloo, et al. Prescriptions of Essentially Placebo Treatments Among General Practitioners in 21 Countries. JAMA Netw Open. 2025;8(9):e2532672.

-要約-
Introduction:
医師は、薬理学的または生物学的に患者の症状が改善することを期待していないにもかかわらず、治療法を処方することがある(実質的なプラセボ処方)。既存の研究では、プラセボ処方を行ったことのある一般開業医(GP)の割合の推定値は、29〜97%と大きく異なる。既存の研究は様々な国で実施され、多様な背景特性を持つ医師を対象としている。また、プラセボ処方の定義も様々であり、今回は有効成分を含む/含まないを区別せず、実質的なプラセボ処方と定義した。
GPは、良好な医師患者関係を維持するためにプラセボ処方をしているように見えるが、プラセボ処方をしていることを患者に伝えず、意図的に曖昧にしているGPが多く、患者に発覚した場合に関係も失われるリスクがある。またプラセボが含む有効成分により、患者を有害作用にさらす可能性もある。
プラセボの処方率をより正確に推定し、リスクの規模と、代替手段に関する教育などの介入の必要性を判断するために、21カ国(主にヨーロッパ)のGPを対象に、同じ表現と定義を使用して、実質的なプラセボ処方の頻度と彼らの背景特性について調査した。
Method:

デザイン (Design)

横断的調査研究
対象:オンラインアンケートに回答したヨーロッパ20カ国とイスラエルのGP
  (唯一の基準:回答時にGPとして働いていること)
連絡方法:各国の代表者が、個人的なネットワークまたは既存のデータベースを用いて連絡
オンラインアンケートの実施期間:2019年12月12日から2021年8月4日
分析日:2022年4月28日

主要評価項目と測定 (MAIN OUTCOMES AND MEASURES)
主要評価項目:実質的なプラセボ処方の頻度(週あたりの頻度及び診察件数に対する割合)
副次評価項目:頻度とGPの背景特性(性別、年齢、プラセボに関する教育、経験年数、診察した患者数、週あたりの労働時間)との関連

設定 (Setting)
データは European General Practice Research Network (EGPRN) を通じて収集された。
統計分析 (Statistical Analysis)
主要評価項目は、推定週間処方数に標準化された実質的なプラセボ処方であり、この数値を週あたりの診察患者数で割って、診察における実質的なプラセボ処方の割合を計算した。個々の特性との関連を調べるために、多変量線形回帰分析に、性別、年齢、教育の認識された質、経験年数、患者数、労働時間、および募集方法が要因として入力された。回帰分析には、すべての変数で有効なスコアを持つ669人の回答者のみが含まれた。ボンフェローニ補正が適用された。国間の統計的比較は、サンプルの小ささのために行われなかった。

Results:
参加者 (Participants)

実質的なプラセボ処方の種類 (Types of Essentially Placebo Prescriptions)
最も多かったのは何らかの種類のビタミンであり、次に他のサプリメントとホメオパシーなどの代替医療が続いた。抗生物質やベンゾジアゼピンなどの有害作用のある薬が言及されたのはごく稀。空のパッチや生理食塩水などの純粋なプラセボも稀だった。
合計818人の回答者が処方頻度を回答し、689人(84%)が少なくとも一度はプラセボを処方したことがあると回答した 。
プラセボ処方率
● 全回答者では2週間に1回(中央値[四分範囲]、0.5[0.1〜2.0]回/週)
● プラセボ処方経験がある回答者では週1回(中央値[四分範囲]、1[0.3〜3.0]回/週)
1診察あたりの処方率
● 全回答者では150回の診察に1回(中央値[四分範囲]、0.67[0.06〜2.50]%)
● プラセボ処方経験がある回答者では100回に1回1.00%(中央値[四分範囲]、1.00[0.31〜3.21]%)
● 国によって異なり、英国の0.1%からフランスの2.5%まで差があった。

処方率と背景変数 (Prescribing Rate and Background Variables)

背景変数を因子とし、診療あたりのプラセボ処方の率を結果変数として線形回帰分析を実施した。因子の一覧とそれらの間のピアソン相関係数はTable3に示す。診療年数と年齢の相関が高く、共線性のリスクが懸念されたため。最終分析では、開業年数を維持し、年齢は除外した。

線形回帰は、実質的プラセボ処方率(診察あたりの割合)を説明した(R2}=0.07;P<.001) 。 処方率は、男性GP、経験年数の長いGP、週あたりの勤務時間が短いGPで高かった。 各有意変数の寄与度は小さかった(すべての半偏相関数 ≦14)。

Discussion:
 この研究では、818人のGPの回答を調査し、回答者の84%がキャリアの中で少なくとも一度は実質的なプラセボ治療を処方したことが分かった。平均して、プラセボ処方は2週間に1回、または150回の診察に1回発生した。処方率は国によって0.1%から2.5%まで異なった。プラセボ治療は、男性、経験年数が長い人、または週あたりの労働時間が少ない人によってより頻繁に与えられていたが、これらの違いはすべて小さなものだった 。
 ただし推定値は自己申告に基づくものであり、記憶や社会的望ましさによるバイアスの可能性があるため、慎重に解釈する必要がある 。
 本研究が既存の研究と異なる側面の1つは、個々の特性と処方率との関連である。以前の研究では、性別や年齢との関連がないか、ほとんど見られなかったが、性別と年齢、および週あたりの労働時間と実務経験年数との関連を見つけた。ただし、観察された関連は比較的小さく、小さな研究では観察されない可能性があり、あるいは偶然の発見である可能性さえある 。
この研究の結果は、実質的なプラセボ処方が頻繁であると同時に頻繁ではないことを示している。個々のGPにとってはまれにしか発生しないため、無害と見なされるかもしれないが、GPに当てはまる事実は、集団レベルでは多数の診察で発生していることを意味する。患者の視点からは、150分の1の確率で実質的なプラセボ薬を受け取る可能性は懸念されるかもしれない 。
リスクがあるにもかかわらず処方が行われていることから、それらのリスクを上回る動機があるはずである。実質的なプラセボ治療の背後にある意思決定プロセスと、それがもたらすリスクと害について、さらなる研究を推奨する。
Limitations:
● 回答率が国によって異なり、募集方法(国と共変動)も処方経験のないグループとあるグループで異なっていた 。これは、実質的なプラセボ処方がそれほど論争的ではない国のGPにとってアンケートへの関心が低く、処方率が過小評価されている可能性など、バイアスを示している可能性がある 。
● 個人的なネットワークを通じて募集された参加者は、募集した代表者とより類似している可能性があり、均質性が誇張されている可能性がある 。
● 国あたりの参加者数が比較的少なかったため、国間の統計的比較はできず、各国の代表的なサンプルを提供していない可能性がある 。
● イスラエルを除き、ヨーロッパ諸国のみが含まれており、他の国の診療に一般化することはできない。
Conclusions:
21カ国のGPを対象とした本調査研究では、本質的にプラセボ処方となるケースは診療のごく一部に留まるものの、ほとんどのGPにおいて定期的に行われていることが明らかになった。今後の研究では、こうした処方の背景にある正確な意思決定プロセスと治療経過についてさらに調査すべきである

【開催日】2025年12月3日

帯状疱疹およびRSウイルス感染症に対するAS01アジュバントワクチン接種による認知症リスクの低減

ー文献名ー
Maxime Taquet, John A Todd, Paul J Harrison. Lower risk of dementia with AS01-adjuvanted vaccination against shingles and respiratory syncytial virus infections. NPJ Vaccines
. 2025 Jun 25;10(1):130

‐要約-
Introduction(はじめに)
これまでに分かっていること: 帯状疱疹の予防接種、特にAS01アジュバントを含む組換えワクチン(Shingrix)が、認知症の発症リスク低下と関連しているという証拠が蓄積しています 。著者らの先行研究でも、AS01アジュバントを含むShingrixは、アジュバントを含まない従来の生ワクチン(Zostavax)よりも、認知症リスクの低下効果が高いことが示唆されています 。

分かっていないこと: AS01アジュバント添加ワクチンがなぜ認知症を予防するのか、そのメカニズムは不明です 。主な仮説として、以下の2つが考えられています 。

①感染予防仮説:
帯状疱疹ウイルス自体が認知症リスクを高めるため、ワクチンの高い有効性(AS01による)が感染を強力に防ぎ、結果として認知症を予防する。

②アジュバント直接効果仮説:
AS01アジュバント自体が、免疫系を介して(マウスモデルで示唆されているように)認知症に対して直接的な保護作用を持つ。

本研究の目的: これらの仮説を検証するため、本研究では、帯状疱疹ワクチン(Shingrix)と同じAS01アジュバントを含むRSV(呼吸器合胞体ウイルス)ワクチン(Arexvy)に着目しました 。 もし「アジュバント直接効果仮説」が正しければ、RSVワクチンも帯状疱疹ワクチンと同様に認知症リスクを低下させるはずです。そこで著者らは、これら2つのAS01含有ワクチンと、対照としてインフルエンザワクチンを比較し、接種後18ヶ月間の認知症診断リスクを評価しました 。

Method(方法)
研究デザイン:米国の電子健康記録(EHR)データベース「TriNetX」を用いた、後ろ向きコホート研究です 。

対象コホート:2023年5月1日以降にワクチンを接種した60歳以上の人々を対象としました。以下の3つの曝露群を設定しました 。

①AS01 RSVワクチンのみ 接種群 (N=35,938)
②AS01帯状疱疹ワクチンのみ 接種群 (N=103,798)
③両方 接種群 (N=78,658)

比較対照とマッチング:比較対照として、AS01を含まないインフルエンザワクチン接種群を用いました 。 年齢、性別、人種、併存疾患(高血圧、糖尿病、呼吸器疾患など)を含む66の共変量を用いて、曝露群と対照群を1:1の傾向スコアマッチング(Propensity score 1:1 matching)で調整しました。マッチング後、すべての共変量において群間のバランスは良好でした(全SMD < 0.1)。 アウトカムと統計解析: 主要アウトカムは、ワクチン接種後3ヶ月から18ヶ月までの「初回認知症診断」(アルツハイマー病、血管性認知症などを含む)としました 。 統計解析では、比例ハザード性の仮定が満たされなかったため、Coxモデルの代わりに制限付き平均時間喪失(RMTL; restricted mean time lost)を用いて群間比較を行いました 。RMTL比が1未満の場合、アウトカム(認知症診断)を経験せずに過ごした時間がより長いこと、すなわちリスクが低いことを示します 。 Results(結果) AS01ワクチン vs インフルエンザワクチン(対照群):Fig. 2に示す通り、インフルエンザワクチン群と比較して、AS01ワクチンを接種した群はすべて、18ヶ月間の認知症診断リスクが有意に低下しました 。

・RSVワクチンのみ群(RMTL比 0.71 / インフルエンザ群比29%改善)
対照群より平均して 87日間、認知症と診断されずに過ごす時間が長かった 。

・帯状疱疹ワクチンのみ群(RMTL比 0.82 / インフルエンザ群比18%改善)
対照群より平均して 53日間、認知症と診断されずに過ごす時間が長かった 。

・両方接種群(RMTL比 0.63 / インフルエンザ群比37%改善)
対照群より平均して 113日間、認知症と診断されずに過ごす時間が長かった 。

AS01ワクチン間の比較:RSVワクチンのみ群と帯状疱疹ワクチンのみ群の間で、認知症リスクに有意な差は見られませんでした(RMTL比1.15, P=0.077)。また、両方のワクチンを接種した群は、どちらか一方のワクチンのみを接種した群(RSVのみ、または帯状疱疹のみ)と比較しても、リスクに有意な差はありませんでした 。

Discussion(考察)
結果の解釈:本研究により、AS01アジュバントを含む帯状疱疹ワクチンとRSVワクチンは、どちらも認知症リスクの低下と関連していることが示されました 。

重要な点は、両方のワクチンを接種しても、片方だけを接種した場合と比べて追加の保護効果(相加効果)が見られなかったことです。もし、それぞれのワクチンが「RSV感染予防」と「帯状疱疹感染予防」という別々のメカニズムで認知症を防いでいるのであれば、両方接種すれば効果は上乗せされるはずです。

この結果(相加効果の欠如)と、ワクチン接種後比較的短期間(数ヶ月)で効果が見られること を踏まえると、認知症予防効果は、ウイルス感染予防(仮説1)だけでは説明が困難です。 むしろ、両方のワクチンに共通するAS01アジュバント自体が、何らかの免疫学的経路を介して認知症に保護的に作用している(仮説2)可能性が強く示唆されます 。

考えられるメカニズム:著者らは、AS01の成分(MPLやQS-21)がTLR4の刺激などを介して免疫細胞を活性化し 、最終的に産生されるインターフェロンガンマ(IFN-γ)が、アミロイド斑の沈着を抑制するなど神経保護的に働いているのではないかと考察しています 。 1回のワクチン接種(RSVは1回、帯状疱疹は2回接種)でこの免疫学的メカニズムが「飽和」に達するため、両方接種しても追加の効果が見られなかったのではないか、と推測しています 。

本研究の限界(Limitations):
EHRデータ固有の問題(診断の正確性、ライフスタイル要因の欠如など)があります 。
観察研究であるため、未知の交絡因子によるバイアスの可能性は残ります 。

最大の限界点として、EHRデータ上、RSVワクチンがAS01を含む「Arexvy」とAS01を含まない「Abrysvo」を区別できていない可能性があります 。著者らの推定では、RSVワクチン群の約24%がAS01を含まないAbrysvoを接種したと見られ 、この「混入」により、AS01(Arexvy)の真の保護効果は過小評価されている可能性があります 。

残された課題(今後の展望): AS01アジュバントが認知症予防に寄与する可能性が示唆されましたが、そのメカニズムは未確定です 。今後は、この保護効果の強さと持続期間を検証し、具体的な免疫学的メカニズムを解明するための、さらなる臨床研究や基礎研究が必要です 。

【開催日】2025年11月5日

エビデンスを嫌う人たちへの対応を考え直す

‐文献名-
エビデンスを嫌う人たち 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか
リー・マッキンタイア著 西尾義人訳 国書刊行会 2024年5月初版

‐要約-
はじめに
著者は、科学哲学・科学史家で、現在某トン大学哲学・科学史センター研究員。
科学否定論についての本で、そのような人々とのより良い向き合い方について考察している。科学否定論とは科学で広く支持されている事実や証拠、合意を否定する考えを示す。例えば、地球温暖化をはじめとする気候変動は人類の活動のせいではない、ワクチンは有効どころか有害である、などである。また民間療法を信じるあまりに標準治療の効果を否定したり、極端なものになると、地球は球体ではなくただの平面であるという、フラットワース説まである。この本では、一連の科学否定論の否定や論破ではなく、理解することを諦めて「危きに近寄らず」とばかり彼らから遠ざかるわけでもない。その逆に、科学否定論者ひとり一人に会い、共感し、敬意をもって傾聴し、対話し、信頼関係を育む、こうした親身な姿勢が、彼らとのより良い向き合い方へのつながる、というのが主旨である。

科学否定論の5つの共通項
科学否定論の歴史は、20世紀前半にタバコがアメリカ全土へ普及していた。それが1950年台の喫煙と肺がんの因果関係を示す研究が増えはじめ、それに対してタバコ産業界が、巨額の資金をバックにして、喫煙と肺がんの因果関係に疑問を呈するキャンペーンを繰り広げた。キャンペーンの目的は、何もないところに論争を作り出す、ことであった。
1) 証拠のチェリーピッキング:自分に都合良い証拠や文献だけをつまみ食いすること。
2) 陰謀論への傾倒:闇の勢力が世間には秘匿された陰謀を企てていると信じ込むこと。
3) 偽物の専門家への依存:専門家として権威を持つように見せかけつつ、科学的合意と矛盾したことを述べる人物を信  頼すること
4) 非論理的な推論:藁人形論法*や飛躍した結論等の誤った推論のこと
5) 科学への現実離れした期待:科学に「完璧な証明」をもとめ、不確実性がわずかに残る説や合意は信頼すべきではな いと判断すること 
*藁人形論法の例:「温室効果ガスが増加した原因は人間活動だけではない」という意見が、否定論者から出されるが、それに反対する気候科学者はいない。重要なのは温室効果ガスの主な原因が、人間の活動にあるかどうかであって、他の原因の存在が人為的な気候変動に対する反対意見になる、と考えること
このような5つの特徴は、相互に絡み合うことで科学否定論者の信念をより強固なものにしている。

科学否定論者の考えを変えるにはどうしたらいいか
彼らに情報不足や不合理な点を自覚してもらい、彼らの証拠集めや推論方法がいかに不適切であるかを教えればきっとわかってくれるはず、という方法は限界がある。筋金入りの科学否定論者となると、科学の否定が、自分のアイデンティティになっている場合もあり、そのような場合は、自分の主張に不利な証拠に触れることは、これまでの価値観やコミュニティへの帰属意識に脅威をもたらし、より一層、アイデンティティを守ろうとして科学否定にのめり込んでいくこともある。
そこで、まずは彼らに「共感・敬意・傾聴」を示し、信頼関係を構築した後に、それに基づく対話をすることである。質問してみたり、客観的な証拠を見せるなどして、疑いの種をまく。誰がどうやって証拠を提示するか、という視点がポイントである。

【開催日】2025年7月2日