DSMの功罪:操作的診断は正しいのか

―文献名―
アラン・V・ホーウィッツ著.それは「うつ」ではない どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由
(原著名:The Loss of Sadness How Psychiatry Transformed Normal Sorrow Into Depressive Disorder).2011年 阪急コミュニケーションズ

―この文献を選んだ背景―
アリセプトの売り上げと認知症患者数の比例、新型うつ病と休職など精神疾患の診断criteriaは時に、社会問題まで発展することがある。私たち家庭医はプライマリケアを担うため、精神疾患と関わることが多いが、大局的に見た精神科業界の流れ、大きな位置付けをしめているDSMについて時に、批判的な視点をもっておくことも必要である。このような事を改めて考える必要を感じ、上記書籍を読んでみた。

―要約―
第一章:うつの概念
1960-1970年代に、同じ患者、同じ症状でも精神科医によって診断にバラツキがあることが問題となり、DSM作成チームは,1980年代から各疾患の明確な定義を確立するために、症状リストを提示することになった。

 DSM-5は、うつ病の症状を9つ挙げ、それを一定数以上満たせばうつ病の診断基準を満たすとしています。うつ病の症状については、次のようになっています。
佐藤先生図
これらのうち、
 ・5つ以上が2週間以上続くこと
 ・1か2のどちらかは必ず認めること
 ・苦痛を感じている事、生活に支障を来していることを満たすと「抑うつエピソード」であると判断され、更に他の疾患を除外している事
  (例えばお薬で誘発されたうつ状態など)
を満たすと、うつ病の診断基準を満たすこととなります。

第二章:正常な悲哀
 正常な悲哀は一時的なものであるとは限らない。夫婦間のごたごた、ストレスの多い仕事、長期にわたる貧困、慢性病などが背景にあれば悲哀も長時間つづく。
 乳幼児は主たる養育者から引き離されると、泣くなど特有の悲哀反応を示す。親密な関係の喪失に対して社会化以前の乳幼児が示す悲哀反応は、人の生得的な本性の一部であり正常な反応と考える。
進化で獲得したメカニズムだとしたら、悲哀は何のためにあるのか?
 ①社会的支援が得られる:うつ反応が助けが必要なことを周囲の人々へ知らせ、社会的支援を引き出すSOSの叫びである。
            絆の喪失後に強い苦痛を伴う悲哀を経験することで、人々は絆の大切さを実感し、結束の維持に努めるようになる。
            遠い祖先の時代には、狩猟などで家族が離れ離れになることがあり、このような環境では、喪失による悲哀は
            社会的な絆を強め、維持する強い動機付けになった。
 ②地位喪失後に身を守る手段となる:敗北や服従という状況に対する適応的な反応として、身を守ることに役立つ。
 ③不毛な努力を断念させる:今までの目標をあきらめて、新しい目標にエネルギーを向けるのは困難な作業だが、今行っている活動を
             中断し、考え込むことで、この作業をよりうまく遂行できる。

第三章:理由の有無という指標-古代から19世紀までのうつの診断史
メランコリー:これといった理由がないのに抑鬱状態になった場合。理由に対して抑うつの度合いが激しい場合。
 問題が解決したのちも鬱がつづくような場合→病的なうつとされていた。症状だけではなかった。

第四章:20世紀のうつ
 1950年代、アメリカでは精神科の治療の中心は重度の患者を扱う州立病院から、比較的軽度な外来患者を扱う精神分析セラピーへシフトした。そのため以前からある重度の障害を定義した統計マニュアルは役立たなくなり、1952年、アメリカ精神医学会は、新マニュアルを作成した(DSM-Ⅰ)
 この反応においては、うつと自己評価の低下によって、不安が軽減され、多少なりとも緩和される。この反応は現在の状況が引き起こしたもので、患者にとっての何らかの喪失が引き金となることが多く、往々にして過去の行為に対する後悔や罪悪感を伴う。このようなケースでは、喪失の現実的な状況だけでなく、喪失したものに対する患者の愛憎入り混じった感情の強さによって反応の強さが変わってくる。抑うつ反応は「反応性うつ」と同義であり、精神病性反応とは区別すべきものである。この区別で考慮すべきポイントは1)患者の生活歴、特に気分が激しく変化したか、人格構造、引き金となるような環境要因があったか。2)悪性の症状(自分は病気ではないかと異常に心配する、興奮、特に身体的な妄想、幻覚、激しい罪悪感、ひどい不眠症、自殺願望、極端な精神運動性の遅滞、深刻な思考の遅滞、麻痺)がないことである。
 うつ状態を意識化に潜む不安から自分を守る手段とみなすだけではなく、罪悪感と愛憎が維持混じる感情がうつの中核にあるという精神分析派の説を採用している。1967年、DSM-Ⅱは「抑うつ神経症」に簡潔な定義を与えている。
 この疾患は、内的な葛藤または愛する対象や大切にしていた所有物を失うなどの出来事による、過剰な抑うつ反応として現れる。これは「退行期うつ病」「躁鬱病」とは区別されるべき疾患である。反応性うつ、または抑うつ反応はこのカテゴリーに含まれる。
この定義は、精神科医がうつの諸症状を知っていることを前提として、その諸症状は列挙せず、病因論を土台としている。
 1970年以降、うつは一つの病気か複数のタイプに分類するべきか調べるために、症状に対する因子分析を統計学的な手法として採用するようになった。また1972年、正確な定義なしに様々な分類が行われる限り、精神医学が科学的な学問分野として認められることは望めないと考える研究チームが現れた→異なる研究グループの結果を比較し、データを蓄積し、統一的な基準を設置することを目指したファイナー基準が作られた。
 診断の信頼性はあがったが、妥当性(診断の有効性)については不確かであった。ではなぜ症状優位の基準へ変化したのか?
 ①1980年代、フロイト派の影響力は低下し、ざまざまな理論の精神医学派が乱立。病因については論じないDSM-Ⅲは多少な考えをもつ臨床家に
  受け入れられた
 ②反精神医学の運動(診断の不一致、幻聴ダミーの入院)が盛りあがり、精神医学の信頼性の回復の必要性
 ③精神疾患に医療保険が適応されるためには、確固とした根拠が必要で、診断基準が特定の病気のみを保険適用とするというものでなければ
  ならない。

第五章:DSM—Ⅳの定義するうつ

第六章:DSMの基準が社会に及ぼした影響
 地域に対しての疫学調査で、臨床家が得るのに相当する診断を得ることが体型的な質問票を使えば可能であるという前提で、一般住民に対して調査が行われた。精神科受診する母集団と有病率が違うという点でも無謀であった。

第七章:悲哀の監視

第八章:DSMとうつの生物学的研究

第九章:抗うつ薬による薬物療法の普及
 費用対効果を重視するマネジドケアは、心理療法より薬物療法を優先する。またマネジドケアは、心理療法よりもSSRIに寛大に医療給付を行う内容になっている。また1997年 FDAが一般向けメディアを通じて直接消費者へ向けた医薬品広告(DTC広告)を認可したためSSRIの使用は拡大。FDAは医薬品広告では、病気の治療に用いるものであることを明確にし、日常的な苦痛を軽減する効用をうたってはならないと定めている。この場合、DSMの定義は、一般人にもわかりやすい病気の定義を示すのにうってつけであった。DSMの定義を採用すれば、ありふれた症状が病気の兆候とされるため人々は合法的に処方箋を手に入れられるし、製薬会社は合法的に一般人向けに製品を宣伝できるのだ。また製薬会社がDTCに投ずる予算は年間20億ドルにもなる。しかし製薬業界は患者と家族の支援団体に多額の寄付を行ったり、うつ病の臨床研究にも巨額な助成金を提供。また全米うつ啓発デーなど教育キャンペーンを大々的に展開し、うつのスクリー二ングを無料で行う自動音声電話やホームページを開設している。https://www.youtube.com/watch?v=pB6_6DlXFoQ(ジェイゾロフト1分間広告例)
→著者の意見:正常な悲哀までうつと診断し、SSRIを処方しているのは行き過ぎでは?
 反対派:出産に伴う正常な陣痛をなくすために麻酔薬を使う無痛分娩に反対する人はほとんどいない。同様にSSRIの服用で感情を制御でき、
     自信をもつことができ、精神的な苦痛が和らぐなら病気でなくても処方すべきでは?
 その反対派:孤独で耐え難い悲哀の場に一定期間とどまることが人の自然な姿であり、その悲哀の場につきものの苦痛を薬で
       軽減してもいいのかという思い。

第十章:社会科学の役割

第十一章:結び
 精神科臨床医によって、症状に基づく基準のメリットは、保険に適用されない可能性のある幅広い患者の治療費が、保険会社から償還されることである。保険会社は疾患の治療費は払うが、生活上の悩みには保険は適応されない。またDSMの診断基準で恩恵をうける最も堅調な利害関係者は、正常な悲哀がうつ病と診断されることで巨額の利益をえる製薬会社であろう。ただ最後に、悲哀を病気と定義することで、恩恵をうけるものとして、苦痛を感じている人々なのかもしれない。心理的な苦痛を治療可能な病気と解釈すれば、抵抗なく医師へ助けを求めることができ、つらい感情をコントロールできる。また病気の犠牲者という自己定義をすれば、自分の抱える問題を社会的に容認される形で説明でき、そうした問題に対する責任をある程度免れることができるため、人々はそうした自己定義を進んで受け入れることもあるかもしれない。

―考察とディスカッション―
 各国のコンテクストの中で、DSMのようなスタンダートが作られたという流れは興味深かった。精神科では上記の内容はもしかしたら常識で、みなさん注意して使っているのかもしれないが、プライマリケアで他分野(だいたいはそう)から輸入して使用する際には、その分野のコンテクストなども把握しないと、製薬会社中心の情報では注意が必要だと改めて認識をし直した( DSMの定義の変遷など興味深い)。
  1) DSMをどのように普段の臨床で位置付けていましたか?
  2) 正常な深い悲哀は見直されるべき意義があるのか、それとも不都合なものとして私たちの生活から排除されるべきなのか
  3) DTC(Direct to consumer)広告について、GERD、リリカ、アリセプトなど患者さんが外来で話をする際に、
    どのように対応をしているか、何か気をつけている点など

【開催日】
 2015年11月4日(水)