人はどうやって認知発達をしていくのか?

―文献名―
大澤真也:ピアジェとヴィゴツキーの理論における認知発達の概念 -言語習得研究への示唆-.2008

―要約―
ピアジェの理論
 ピアジェは認知機能の発達を4つの段階として提唱している。
 第一の段階が、0歳から2歳までの時期に対応する「感覚運動期」。これは、自分の感覚と運動だけで世界を知ることを特徴とした時期である(自分の五感のみで単純に世界に働きかける)。
 第二の段階は2歳から7歳に相当する「前操作期」。この頃には、子どもは「言葉」という道具を持ち始めて思考することが可能になる。またこの頃から子どもは「象徴的な遊び」に着手するようになる。象徴的な遊びというのは、言わばフィクションの遊び、つまり「ごっこ」の遊びである(自分の五感で単純に世界に働きかけるだけでなく、自分の頭の中で様々な計画を立てられるようになる。しかしまだ世界を主観的な視点でしかみることができない)。
 第三の段階は7歳から11歳になると、子どもたちは「具体的操作期」を迎える。この時期は、子どもたちの認知発達が激変する時期である。それは、具体的操作期を迎えた子どもたちは、論理的な思考能力を発達させるためである。(具体的な概念は理解できるが、抽象的な概念になると他者の力を借りるなどして言葉を理解する)
 しかし、具体的操作期の子どもたちには未だ著しく劣る能力がある。それは仮説演算的な推理の能力である。ピアジェはこの推理を特に「形式的操作」と呼んだ。とりわけ形式的操作能力が高まるのは、11歳以降の「形式操作期」である。この時期になると、子どもは仮説演算や抽象的な概念を形式的に思考できるようになるとピアジェは考えた(抽象的あるいは仮説的な状況を取り扱うことができる)。

ヴィゴツキーの理論
 ヴィゴツキーの理論は、人は社会的状況の中で他人の助けを借り、また言葉という道具を媒介にして認知を発達させていく、というものである。
 ヴィゴツキーによれば、個人の発達は社会的に共有された認知過程を「内部化」することによって可能になると考えた。例えば言語で概念を形成するというのは、人間の精神の内部で実行されている。しかし言語や概念を造り上げたのは、社会や集団の相互作用である。今我々の精神の内部にあるように思える言語や概念も、もともとは精神の外部にあったということになり、単純化して言えばヴィゴツキーの言う「内部化」とは、精神の外部にあったものを内部に取り込むことを指す。
ヴィゴツキーが提唱した最も重要な概念の一つである「発達の最近接領域」は、この内部化の概念を前提としている。ヴィゴツキーは、子どもが独力で解決することのできる問題と、教師の指導や仲間の援助を受けることで解決できるようになる問題に着目した。前者の問題にどれくらい太刀打ちできたのかを評価してみると、今現在の子どもの生身の「実力」を知ることができます。この実力のことをヴィゴツキーは「現下の発達水準」と呼びました。
 「現下の発達水準」が指し示すのは、昨日までの学習によって子どもの中で成熟している精神機能の度合いである。一方、後者の問題にどれくらい太刀打ちできたのかを評価すると、今度はその子どもが「今指導や援助を受けることでどの程度実力を高めることができるのか」を知ることができる。自分一人の現段階の実力ではできないことでも、人の手を借りればできるようになることがある。それが行く行くは将来における子ども自身の「現下の発達水準」になる可能性がある。
 そして今現段階における「現下の発達水準」と、近い将来新たな「現下の発達水準」となり得る未定の発達水準との間の境界のことを、「発達の最近接領域」と呼びます。この概念が意味するのは、今はまだ完全には成熟していないが成熟の途上にある機能が存在するということである。ヴィゴツキーの学習論に倣うなら、この成熟の途上にある機能を育て上げることが、教育の役目だということになる。彼の学習論は、今現段階で「伸ばすべき能力」、「伸ばせば伸びるであろう能力」を特定できるという点で、教育的に有用であると言える。

ピアジェの理論とヴィゴツキーの理論
 ピアジェとヴィゴツキーにおける大きな違いの一つは知識の習得方法である。ピアジェの考え方では学習は個人から社会的なものへと進んでいくと考えられた(他者が期待しているものと自身の既存のスキーマの間に違いが生じたときに、人はスキーマを更に同化させたり調整させたりすることで均衡化の状態にしようと試みる)のに対し、ヴィゴツキーは社会的なものから個人的なものへと進んでいく(「最近接領域」を他者の助けを用いてその人の実際の発達レベルとの溝を埋める)と考えた。

【開催日】
2015年6月3日(水)