~ナラティブ・セラピーの紹介とillnessを聴く意味と深み~

【文献】
「ナラティヴ・セラピーの世界」 日本評論社1999年 第一版  小森康永ら編著

【要約】
≪概念≫
人間は解釈する生き物である。つまり、私たちは人生を生きるとき、自分たちの経験を積極的に解釈しているということである。明瞭な何らかの枠組みを頼ることなしには経験を解釈することはできない。
こ の枠組みを構成するのが、ストーリーである。そしてそのストーリーは「経験」「意味」「行為」というものが円環になった状態である。経験することで、その 意味付けがされ、それが行為へつながる、という一連の流れがストーリーである。認知療法との違いは、このストーリーが個人の中にあるもの(認知の歪みな ど)ではなく、家族をはじめとする様々な人々との相互作用によって絶えず構成されつつあるという考え方である。(ここにナラティブセラピーが家族療法を出 自とする由縁がある)そしてこのストーリーの書き換え(リ・ストーリング)が治療の内実となる。
≪背景≫
・社会構成主義的な主張「現実は社会的に構成される」という前提に立つ。我々の思いや他者との交流を通して現実を我々は経験する。
・日常生活は、何よりもまず言語による意味づけによって維持されている。会話の機構は現実を維持すると同時に、絶えずそれを修正する。また自分を語ることが自分を構成することであり、自分自身を経験することでもある。
・人間の病いは、基本的には意味をもつものであり、そしてすべての臨床的な実践は、本来的に解釈を伴ったものである。
≪ナラティブ・セラピーの姿勢≫
・ リフレイミング「ある具体的な状況に対する概念的および感情的な構えや見方を変化させることであり、それは同じ状況下の『事実』の意味を規定する古い枠組 みを代えて、それよりも良い、もしくは同等の他の枠組みを与えて全体の意味を変えてしまうこと」(責任はセラピスト)ではなくて…
リ・ストーリン グ「今まで認知されがたかった問題解決の具体例である『ユニークな結果』が明らかにされると、そのユニークな結果を説明させる質問、それに伴う人間関係を 再描写するように誘導する質問をして、新しいストーリーを築いていく方法」(すべての人が意味を作り上げることに協力する責任)
「リフレイミングとは対照的に、リ・ストーリングは過去と現在そして未来を抱合するより広い意味の文脈に適応される。」
・ 無知の知とは、セラピストの旺盛で純粋な好奇心がその振る舞いから伝わってくるような態度ないしスタンスのことである。話されたことについてセラピストが もっと深く知りたいという欲求をもつことが『無知』ということで、その欲求を相手に表すことが『無知の姿勢』となる。セラピストはクライエントによって常 に教えてもらう立場にあり、この『教えてもらう』立場こそ無知のアプローチを端的に表している。
・理解の途上でとどまり続けること:セラピスト自身の理解の範囲に限界があることを認識する。
・クライアントの語るローカルな言葉を使用する。
・無知の立場をとる場合、セラピスト自身がどのような「自己物語」を生きようとしているのか?という問いかけの深さが、対話する二人のコミュニケーションの相互作用に反映される。

≪実際の技法≫
・会話的質問「この病気にかかったと思ってどのくらいですか?」→「この病気にかかってどのくらいですか?」(その会話が広がるという焦点をもつ質問。相手のもつ現実に立った会話としてのやりとり)
・Bio‐Psycho‐Socialの各レベルで治療者と患者の間で視点が共有され、折り合いをつける。
・「老い=衰退である」「社会の抱く女性らしさ」などの神話に対して自己認識し、無知の知の姿勢で面接をする。

【開催日】
2010年9月29日