患者からの贈り物をめぐる医療現場のジレンマ

-文献名-
Zolkefli Y.
Healthcare Dilemma Towards Gift Giving by Patients.
Malays J Med Sci. 2021 Oct;28(5):137-141. doi: 10.21315/mjms2021.28.5.14. Epub 2021 Oct 26.
PMID: 35115896; PMCID: PMC8793965.
※ 著者「Zolkefli Y(ユスリタ・ゾルケフリ)」は,看護を専門とする看護師をバックグラウンドに持っている.過去にリバプール大学やエディンバラ大学に籍を置き,現在はブルネイ・ダルサラーム大学助教である.特に「看護倫理」「患者の権利」「看護指導(リーダーシップ)」を専門としていて,幅広く研究もやられている.

-この文献を選んだ背景-
 私はこれまで,患者からの贈与品は原則としてすべて辞退するという方針を一貫して維持してきた.具体的には,患者から物品を差し出された場合,その場で「当院では受け取れないことになっている」「お気持ちはありがたいがお受けすることはできない」「ご足労いただきありがとうございます」といった言葉を添えながら,三度にわたり辞退することを定型としていた.それでも辞退しきれず受領せざるを得なかった物品については,総合診療科あるいは外来看護師と共有することで個人的な受領にならないよう配慮してきた.
 本事例の対象は,高血糖および多発リンパ節腫脹の精査依頼を受け,私の外来に通院されている70歳代女性である.ある日患者は,予約受診日ではなく,かつ私が外来を担当していない日に,息子様が経営する飲食店の料理をテイクアウトして来院された.患者はこれを私に手渡すことを希望されたが,私が不在であったため,上記の方針に基づき受付段階で辞退し,患者には一度ご帰宅いただくこととなった.後日の予約外来において,私は患者から直接,強い怒りの感情を表明された.患者は「私の幸せのお裾分けを受け取らないとはどういうことか」と述べられ,さらに「自分は幸せを誰かに分け与えることで,より大きな幸せが返ってくると感じている.これは幸せの無限ループである」と自身の信念を語られた.こうした贈与行為に込められた価値観や意味づけを,私はこの時点で初めて知ることとなった.これまで多数の辞退経験のなかで,患者からこれほど強い感情的反応を引き出した事例は皆無であり,私にとって初めての経験であった.
 この経験を契機として,患者から贈与の申し出を受けた際の自らの振る舞い方を再考する必要があると強く感じ,文献検索を行った結果,今回の文献を見つけた.

-要約- 
※本文献は,エビデンスの有無というよりは,著者の主張・見解に近く,しかしながら現場の判断材料として有用な視座を提供する重要な論文と考えています.

背景
 患者から医療従事者への贈り物は,一般に善意に基づき,好意的に受け取られる行為である.しかし同時に,利益相反・贈収賄・専門職としての境界の侵犯といった倫理的問題を生じうる「グレー領域」でもある.英国GMC等の公的ガイドラインは原則として受領を制限する立場をとるが,現場では明確な施設方針が欠如している場合が多く,医療従事者は個別の判断を迫られる.著者は冒頭で,英国の精神科医が高齢患者から計約135万ポンドの贈与を受け医師登録から抹消された事例に言及し,贈与の受容が職業倫理を逸脱しうる現実を提示している.

目的
 本稿の目的は,施設方針が不在な状況下において,医療従事者が患者からの贈り物に対応する際に考慮すべき要素を倫理的観点から整理することにある.

主な論点
 第一に,著者は贈り物を四類型に分類する.すなわち,①節目を記念する象徴的贈り物,②感謝のしるしとしての贈り物(食品・花等),③明らかに過剰な贈り物(高額品・多額の金銭等),④ ①〜③のあいだに位置する「グレーゾーン」である.本稿の関心は第四類型に置かれる.
 第二に,受領を検討する際の評価軸として,著者は四点を提示する.すなわち,(1)金銭的価値(「チップ」「見返り」と解釈されうるか),(2)贈与の本質と動機(感謝か,文化的慣習か,優遇期待か),(3)時期(timing)(介入後の感謝か,治療進行中の唐突な贈与か),(4)関係性への影響,である.とくに著者は,贈与が医療従事者と患者のあいだに「絆」と「力関係の変化」をもたらし,服薬不遵守・性的既往・薬物乱用といった困難な話題への踏み込みを阻害しうる点を指摘する.また,一度の受領が次第にエスカレートしていく「滑り坂状況(slippery slope)」,および特定スタッフへの贈与が職場の公平性と協働を損なうリスクにも警鐘を鳴らしている.
 第三に,著者は「画一的な規則は存在しない(no blanket rule)」とし,個別事例ごとの倫理的精査(ethical scrutiny)が鍵であると主張する.具体的方策として,受領・辞退の判断を文書化すること,辞退時にはその理由を患者に説明して治療同盟を維持すること,適切と判断して受領する場合でも「ケアの標準は変わらない」ことを患者に伝えること,判断に迷う場合には同僚と相談することを推奨している.

結論
 著者は,贈り物は一般に受け入れられる行為であるが,いかなる場合も同等の倫理的精査と誠実さを通過させる必要があると結論する.この精査は医療者と患者の「人間性(humanity)」を否定するものではないと注意を喚起する一方,最終的には「利益相反の状況に至らないよう,最初から辞退するほうが安全であろう」との立場で本稿を締めくくっている.

本稿の意義と限界
 本稿の意義は,ガイドラインが乏しい現場の実務者に対し,判断のための具体的な考慮軸を提示した点にある.一方で限界として,(1)実証研究ではなく一人の著者による論考であること,(2)ブルネイの文化的文脈が背景にあり,日本の臨床現場における中元・歳暮文化や退院時の菓子折り慣習等への適用には文脈の翻案が必要であること,(3)「精査せよ」という規範論にとどまり,具体的な意思決定アルゴリズムまでは提示されていないこと,が挙げられる.

※ 文献中には特に図はありませんでしたが,以下にNotebook LMで作成した文献の内容を要約したキースライドです.



【開催日】2026年6月3日